視聴室 掲示板
 

島崎陶人ギターサロン:私の過去の記録



●虹人物語・・「墨壺」
これは、ギタリスト、秋山虹人(島崎陶人)が「本物の音」を求めて旅する冒険物語です。

ある日、家を新築する現場を通る。そこで、大工さんが墨壺を使って
木に線を引いているのをジ〜〜ット見るところから物語は始まる。

「音」を求める。「タッチ」の研究は、ギタリストなら誰でも通る道。
ただ、普通は1〜2年程度で妥協して次へ進む。課題がいくらでもあるので
タッチにだけ多くの時間をかけられない!というのが一般的な理由だと思う。
虹人は、ギタリストなら誰でも通る道に入ったまま、すでに10年以上経過している。

その日はレッスン日。いつものように三ノ宮駅の改札口をいつものように、通る・・・・
駅員さんから「もしもし!」
「え?!僕ですか?」
「切符を取り忘れていますよ」

特に考え事をしていた訳でもない。
いや、むしろ<考える>ということが、出来ないような<意思が抜けた>ような一瞬だった。

長いエスカレーターに乗っている間も頭はどこかに忘れたような・・・・と、
前に乗っていた老婦人が突然足を踏み外し、後ろへひっくり返る!
「おっと!」
ギターを背に足を一歩後ろに下げると、倒れてくる老婦人をしっかりと受け止めた。
「あ〜、ビックリした!ありがとうございます!!」
言葉とは違い、落ち着いた口調で婦人は虹人にお礼を言った。
虹人は、周りを見渡した・・・・・・
今エスカレーターに乗っているのは、前の老婦人と自分だけ!
もし、さっき切符を普通に取り、普通に歩いていたら・・・・・この老婦人は? 
大けが!?  いや、ひょっとしたら死んでいたかも・・・。
そう考えると、<さっき、切符を取り忘れたのは、この為か!!>

・・自分の行動は、ひょっとしたら、・・全く別の力で動かされているのでは?

自分が考え、自分の意思で動いている!と思っているだけで、本当は・・・・・

それならば、自分が探している「幸せの音」は??
自分がギターを弾いているのは?今、生きているのは?

・・・・・・砂浜を歩いている自分の姿が見える。すると、前に光り輝く老人が現れた・・・・・
   「あなたは?」
   老人は、その問いには答えず、ニッコリほほ笑む。
   「私の進むべき道は?」  
 ・・・・「音楽の道へ行きなさい」
   「幸せになる音って、ありますよね?」 
 ・・・・「その答えは、君が出すのだよ」
   「美しい音で幸せになりますか?」 
 ・・・・「ならない! それは人を不幸にさせる!」
   「ええ!! 美しい音が、不幸にさせる?!」
  ・・・・「自己満足だよ」

電車にゆられながら、夢を見ていた虹人・・・・・
妙に真実味がある夢!  その時、あの墨壺が思い出された。


●子守唄
友人の画家、岡本英生の個展に出かけた時のこと、
1枚の風景画の前へ吸い寄せられるように歩んで行く。
その絵は公園の広場に鳥が2羽、少し離れて空を見上げている、のどかな絵。
と、絵の中にいる2羽の鳥がチョンチョンと動き出した!
それを待っていたかのように、虹人の頭に「ラモーの2つのメヌエット」が流れる。
まるで、絵の中の世界で生きているように、虹人はその世界に吸い込まれていった・・・・

鳥が自分の周りを、まるで申し合わせたように、チョンチョンと丸く歩く!
その間、虹人はラモーの2つのメヌエットに包まれていた。
そして、曲が終わると、2羽の鳥は飛び立って、平和な景色だけの世界に・・・・・・

我にかえった虹人の前には、のどかな風景画の中で2羽の鳥が今も空を見上げていた。
まるで、ラモーの「2つのメヌエット」の響きを待っているかのように・・・。

曲の後ろにある「物語」を自分で作り上げるのが好きな虹人は、
「これは、曲が語りかけたのか?それとも・・・・」
この時、虹人は、現実より、幻想の世界の方がはるかに現実味があることを、感じていた。


「先生! それでは読めません! 来週までに、風にしてください!」
衣川さんは虹人の生徒さん。熱心にギターを勉強している。

先月のこと

「先生、私、プラテーロと私を朗読したいんです」
・・「朗読! つまり、私が演奏する・・・・」
「お願いします」
・・「ちょうど、私も弾きたかった曲です。この曲には<音>が必要です」
「今の音ではダメなんですか?」
・・「ダメです。12フレットから上の音が普通に弾けないと弾けないんです」
「12フレット以上は、<音>にならないですね、私は・・・・」
・・「音が出るまで・・・・と言っていたら、一生弾けないかもしれない・・・・」

これは、今、練習開始することで「なにか!」を会得するという意味だろうか・・・・・
私は、一緒に練習する約束をして、<子守唄>から始めることにした。
何故、<プラテーロ>でなくて、<子守唄>から始めるのか? 
これは衣川さんの希望だった。

そして、次の週、朗読と一緒に演奏していたところ・・・・・

・・・・こずえに風が鳴る・・・・ここで、アルペジオが演奏される・・・・・が、衣川さんは、
「それは、アルペジオで・・・・風ではありません!」
アルペジオは指を動かす練習ではない!  表現の練習だ。
言葉では生徒さんに「水が流れるごとく・・・・とか、風が吹くように・・・・・」と言っている。
しかし、そのことが全く出来ていないことを、生徒さんからモロに指摘されたのだ。

さあ、どうする虹人!


アルペジオを「風」にするには・・・・・
全くアイデアがでないまま明日は2回目の朗読と合わせる日。

街の中を水が流れている。ボンヤリとその流れをみていると・・・・・
「あれ?砂がボコボコと・・・・水が湧いているのか・・・・・・・!」
「・・・・これや!」
水が湧いて出る「音」
これがアルペジオや!

「流れる」前に、「湧く」があった!

発想の原点は、目的の表現が、どこから出るのか?
それをハッキリさせることから始める。
どう弾くか? はこの後だ。

10年以上も、「音」を探し求めている。
探している「音」の具体的な姿を知らないで探している。

虹人の頭の中で、音と表現がクルクル回り始めた。

すぐ近くで、子供たちが縄跳びに興じている。
縄を回すと、パシッ、パシッという小気味良い音が砂を弾くのと同時に聞こえてくる。

虹人の頭は、さっき閃いた練習方法をイメージしながら、縄の動きをジッと見ていた。


●一人二重奏
石造りの大きな部屋に、虹人と白髪の老人がいる。
老人は机に向かって何かを書いているようだ。
・・・・「しまった! なぜギターを持って来なかったんだ!」
後ろ姿の老人が、セゴヴィアであることはすぐに分かった。
なぜ、ここにいるのか? 
セゴヴィアと同じ部屋にいる訳がないのに、そのことには疑問が起こらない。
なぜ、ギターを持っていないのか? そのことが残念でならない。

朝のまどろみの中で、さっきの景色を「夢」と分かっていても、虹人は「ギターを持っていなかった!」
ことに、自問自答を繰り返していた。
・・・・「せっかくセゴヴィアさんがいたのに・・・・」
なぜ、話しかけなかった? 
あんなチャンスは二度とないのに・・・・・・・!! 
人は「もしも・・・」と言う時、悪い状況を指す。違う!  
考えられないぐらい良い状況に出会った時を「もしも・・・・」と言うべきだ。
きっと、今までも絶好の機会をたくさん逃しているに違いない。
これからは「もしも・・・・・絶好の状況が現れたら、どうする?」に切り替えよう。

これはシュミレーションが必要だ!

水が湧きでる音からアルペジオの練習方法が一変した。
右手の親指が持つパワー! これはギターに限ったことではない。
右手の親指には神秘的な「力」があるに違いない!
そう捉えると、弾き方が急に広がる。

弾き方だけではない。他の指のサポートもする。
無駄な共鳴を防ぐ消音もする、さらに・・・・
音を出すことより、どこで音を止めるか。音の最後をどれだけ意識出来ているのか?

2声で動かす時、出す(弾く)音より、止める音に意識を持って行く練習!
一見無駄とも思える練習方法を考え出した虹人は、
朝練の全てを自作のメソッドに費やした。
そして、<アルベニスのグラナダ>の中に応用してみる・・・。

意識は旋律に、耳は伴奏を聞いている。1人二重奏の完成だ!
重奏は縦に合わせることが一般的だが、虹人はこれには反対している。

水の上に葉っぱが浮かんでいる。
その葉っぱは、水の流れに任せて、ある時は飛ぶように早く、
またある時は、ただ上下にユラユラ揺れているだけのように動く。
この葉っぱが旋律として、伴奏は水の流れ。
その二つは同じ進行ではない!
水がどんなに複雑な動きをしても、その上の葉っぱは、意外と緩慢な動きなのだ。

風に舞う葉っぱも、水の上で戯れる葉っぱも、予測出来ない楽しい動きをしてくれる!
これが、音楽だ。

グラナダの旋律が喜んでいる!  
そう感じた時、グラナダのリズムが、縄跳びが地面を叩く音と重なった。


●こずえに風が鳴る
グラナダの成果にすっかり気分を良くした虹人は、「風アルペジオ」のアイデアに取り組む。


pimiaimi 普通はpとaが強くなるのです。が、それは音楽上の常識。  ブクブクは?
試しに、全く逆にするところからスタート。常識を覆すには、逆転の発想が要る。


本来なら最も小さい音を最大に、最大の音量になる音を最小に・・・・・・・・ブクッ! 
音量の変化の後は、全く変化ナシに弾く! これを続けると・・・・・・・・・ブクブク!

「これか! 変化というのは、・・・・2つの異なったモノを融合させる!・・・・」
1つで表現しているのではない・・・。融合!
風も同じか?  扇風機は同じ風量だから、オモシロクナイ!
pima pima pima pima 全てのpimaの弾き方を変える。それも正反対の表現を瞬時にする!
まず、自分のレベルで表現出来る最も強い方法と弱い表現。
瞬時に変化させる。直後に全く変化のない「頼りない弾き方」   ザワッ!
コードの変化がこれに加わる・・・・・ザワザワ!


山に登る時、一直線に頂上に向かっている訳ではない。グニャグニャ曲がりつつ登る。
虹人は、「頂上へは、真っすぐに向かう」ものと錯覚していたようだ。


ジュリアーニが120のアルペジオの練習を書いている。
虹人はメトロノーム(80)を使って弾くのが好きで、毎日の練習にしていた。
「全ての型を作り直さなければ!」
音量だけを変化させても・・・・毎回雰囲気が変わる!
さらに速度も変化させる!それも極端に・・・・メトロノームは、この瞬間にゴミになった!・・・・・


夜、衣川さんと2回目の練習を開始する。

「先生! 何があったんですか?」と驚きを隠さない。
・・・・「風になったか?」
「はい、こずえに風が鳴りました。」
・・・・「よかった。朗読と一緒に弾くことの意味が少しだけ分かったよ」
「先週とは別人です」
・・・・「正確には・・午前とは別人・・今朝ヒントがあって、ついさっき出来たんよ」


グラナダの1人二重奏。基礎練習のブクブク。子守唄の「風」。そして、墨壺に縄跳び・・・・・
新しい音楽の道が、すぐ近くに広がっている。


●縦振動
「先生! お茶を一服いかがですか?」

ここは、虹人がギターを教えている姫路の文化教室。
隣の部屋では、裏千家の茶道を教えている。茶道の先生が時々薄茶を差し入れてくれる。

この「お茶」というのは、なかなかに風流なもので、
お茶を飲む前には必ず千菓子(おひがし)が出る。
その千菓子が、虹人は楽しみでお茶を頂くのだが、

「あら、先生!今日は1人ですか?」
・・「そうなんです。山田さんが転勤で30分空いたんです」
「それなら、こっちの部屋で飲みませんか?」
・・「いいんですか?」
「どうぞ、どうぞ」

裏千家のお稽古風景は、虹人には衝撃でした。
それは、先生の言われるままに「型」を「やらされている」のです。
音楽では絶対にないレッスン風景です。
このことがきっかけで、虹人はこれから約4年間、「お茶」を習うことになったのです。
そして、49の技というギターの「型」を作ります。
しかし、それはまだ20年先の話。

初めて「お茶」を作法にのっとって頂いた後、レッスンに戻った虹人を待っていたのは、
自称プロ並み!というより自分もギターを教えている!という腕自慢の兼田君。

兼田君は、「教えてもらうのではなく、二重奏の相手をしてほしい」と言う。
「はいはい、いいですよ。何を弾きますか?」
・・「では、手始めに、ソルのアンクラージュマン。弾けますか?」
「・・・・・さあ・・・・弾けるかなあ〜〜。ま、やってみましょう」

そして、弾き始めてから、しばらくして
「ちょっと待って」
・・「はい、なにか?」
「おかしい??」
・・「・・・・・・・・・・・・」
「聞こえへん!」
・・「え?」
「自分の音が聞こえへん!」
・・「はあ???」

兼田君が言うには、二重奏だから2人が弾いているのに、虹人の音しか聞こえない!
これは、いったいどういうことか?

次に、彼はバッハのフーガを弾き始める。しばらくしてから・・
「この曲知っていますか?」
・・「はい、エエ曲ですねえ」
「弾けますか?」
・・「まあ、少しなら・・・」
「弾いてください」

言われるままに、フーガを弾き始める。しばらくすると・・
「先生!」
・・「あら? 初めて先生と言われた!」
「なんですか?その音は?」
・・「ギターの音ですが??」
「俺はギターに関しては、少々自信がある。しかし、そんな音聞いたことない!」
・・「そうですか。私は毎日この音で弾いています」
「どんなタッチで弾いているんですか?」
・・「弦を切っています」
「ええ??!!そんなアホな。そんなタッチでは早く弾けない!」
・・「まあ、そうかも知れませんが、別に不自由はないですよ」
「・・・・・・・・・・」

兼田君は虹人のタッチをしばらく見ていましたが、自分もとりあえず試してみることに、そして
「・・・・・・先生!!」
・・「はい」
「これは?! これがギターの音ですか?」
・・「そうですよ」
「・・・・・・・・・・・」

これ以後、兼田君は、熱心に虹人の指導を受けるのですが、
一度ついたクセは治ることはなかった。

弦を切る! これは虹人が10年かかって得た弾き方だが、誰もやっているギタリストはいない。
一般の弾き方を「横振動」。虹人のタッチを「縦振動」と呼ぶ。


●易しいことは何一つない
虹人が「音・・タッチ」の世界に入って、10年以上経過した。

人を幸せに出来る「音」があると信じてはいるが、具体的には、まだ「美しい音」しか出ない。
しかも、その「美しい音」は、ひょっとしたら人々を不幸にすらしかねない!と聞かされる。

偶然、隣の教室が「裏千家の教室」だったことから、「日本の習い事」をすることになる。
その茶道1日目に自称「プロ!」と言う生徒、兼田君が虹人に挑むが、見事に返り討ちに・・・。

今日は、茶道2回目。兼田君の2回目のレッスン。
茶道を始めた同じ日、
それもほとんど同時に習いに来た兼田君。偶然にしても「なにか」ある!


「私、実はギター教えているんです!しかも、その中にはプロもいます。」
・・・・「ああ、そうですか。」
「驚きませんね!」
・・・・「あ、すみません。  え〜〜〜!」
「無理に驚かなくても・・・・それより、今日から心入れ変えて練習しますから、
 1から教えてください。」
・・・・「それは、かまいませんが、無理ですよ。」
「ええ! 無理って・・・。」
・・・・「親指の基本の動きから始めるんですが、たぶん出来ませんよ。」
「・・・・・・やります。すぐにやってみせます。」
・・・・「そうですか、では・・・・私の真似をしてください。」

そして、10分後・・・
「なんでですか?」
・・・・「出来ないでしょう?」
「見てたら、な〜〜んもしてない。親指でC弦D弦を弾いてるだけやのに・・。」
・・・・「そうなんです、誰が見ても、な〜〜んも難しくない。そうでしょう?」
「はい、でも・・・・実戦したら、頭がパニックになっています。」

虹人がアドバイスした内容は、あまりにも単純な内容。
お茶を習っていた時に「思い付いた」練習。
なので、兼田君も初めてだったが、虹人も初めての練習方法だった。

音を出す。
次の音の準備をする。
次の音が出ると同時に前に出した音を消す。
たったこれだけ。
これを親指だけを使って、C弦とD弦の2つの弦だけでやる。
自称「プロ」の兼田君が10分やった!が出来なかった!
この事実に、兼田君はもちろん、虹人も強くショックを受けた。

最初の部分は、簡単に真似が出来る。
次に、少してこずってから、ポ〜〜ンと突き放す計画だった。
しかし、最初のところで「パニック!」になったらしい。


外から見て「単純」なこと。易しそうに見えても、実際に易しいことは、なにもない。
ギターにおいて「易しい」ことなど虹人は何一つ知らない。
今回の経験が虹人にとってショックだったのは、
虹人が考える「プロとしての第一歩」の弾き方。
声楽なら「腹から声を出す」みたいな。
大工さんなら、のこぎりで木を真っ直ぐに切れるみたいな・・・・・。
その程度の内容に10分やって、パニックになるとは・・・・・

ひょっとしたら、日本のギター界は、根本から間違った指導をしているんではないか?
そんな疑問が湧くのを止められなかった。

これを読んでいるギター愛好家のみなさんも挑戦してみませんか?

DとCの開放弦を交互に弾く!
これを、弾きっぱなしは、幼稚園児でも出来る。
そんなことをして音楽が出来る訳がない!
出した音は最後まで責任を取る。たったこれだけ。

Dを弾く準備。Dを弾く。その音を止める。
Cを弾く準備をする。Cを弾く。そのCの音を止める。
Dを弾く準備をする。その繰り返し・・・・・。

言葉なら「簡単やん!」
兼田君は、自称<凄腕のギタリスト>だが、
たったこれだけのことが出来なかった!
この事実。
みなさんも。実践したら解かりますよ。


●楽園サウンド
虹人が住んでいる街、六甲は、静かで自然に恵まれた住宅地。
いたるところ坂道で、どこを歩いても平たんな道はない。
この地では山に向かうと北と決まっている。
だから、北とは言わず「上」という。したがって、南は「下」。
川があれば、流れている方角が南。

神戸育ちの人間が、坂道のない土地へ行くと方角がサッパリ分からない。
「南」以外の方向に川が流れていると、頭が軽いパニック状態になる。
虹人の家は、緩やかな坂道が急勾配になるあたりにある。

お茶を習い始めて、半年あまりが過ぎた頃、虹人は散歩に出たついでに、裏山に登ってみたくなり、
サンダル履きのまま、ゆっくりと「北」に向かった。
20分も登ると、すっかり山道に入る。くねくねと曲がった少し先の道を、
帽子をかぶって、背中を前に折り曲げるようにして、ゆっくり歩いている初老の男性が目に入った。

「こんなにゆっくり歩いているのに、追いつくとは、あの人は、どんなにゆっくりやねん!」
独り言を言いながら、少し速足で歩き出した。道は1本だからすぐに追いつくはず。
が、見えない! かなり早く歩いてみたが、人影はない!
「消えたのか?!」
虹人は事故かも知れないと思い、今来た道を、周りに注意しながらゆっくりと戻りはじめた。
ほんの少し戻っただけと思ったが、下りなだけにすぐに見慣れた場所に出た。

「どうも、時間と距離の感覚がおかしくなっているなあ・・」
「これがキツネに騙された! ということなのか?!」
「それとも・・・・あの歩き方は・・・・・・まるで、荷車を牽いているような?・・・・」
虹人は、山登りを中断して帰路についた。

家に着くと、娘の紀子が子犬を抱きかかえて、
「とうちゃん! 犬が来たよ〜〜。」
小さくて、黒い毛がムクムクした子犬は、娘の腕の中でジッとしている。
「これからは、門を出る時、気をつけな・・・・・」
と言いかけた時、虹人の頭の中で「ギターの音」が鳴ったように感じた。
すぐに部屋に入り、ギターを取り出した。

「・・・・・・これは!?  この音は・・・・なんや?」
単音だけで「音楽」になっている。旋律は弾きたくない! この「音」だけでいい。
まるで、別世界で聞いているみたいな、
・・・・楽園サウンド・・・・そんな言葉が口から自然に出た。

庭に面した部屋のガラス戸が開いて、紀子が子犬を抱いたまま、
「名前やけど・・」
・・「名前? ああ、犬の名前・・。」
「チビ!  でいい?」
・・「チビ! うん面白い。チビにしよ!」
やっと腕の中から自由に解き放たれた「チビ」は、庭を走り回ると思いきや、部屋の入り口で座り込み
小さな尻尾をパタパタ動かしながら、
虹人になにか言いたそうに、ジッと見ていた。


●バッハ;ガヴォット
「楽園サウンド」を経験した虹人だったが、その「音」が再び出るには30年待たねばならない。

それも、やはり一瞬だけしか経験できないのだが・・・しかし.。

確かに存在した「楽園サウンド」
想像上の「音」ではない。存在する「音」
この音を聞けた!ということは、「選ばれた」のか?
自分の求めている「音」を会得すると、音楽は要らないのか・・・・・

「型」を作ってみよう! アルペジオの型。 スケールの型。
・・・・・・・・やっぱり、「音」からスタートか??
違う! そこからスタートは出来ない。
お茶の心は「型」から入る。 
音楽も、ギターも「型」から入るのは?

DとC弦を親指で弾く。
たった、これだけのことが、自称「プロ」の兼田君が、結局出来なかった!?
音を鳴らしっぱなしなら、誰でも弾ける。
音の終わりを意識して弾くと、サッパリ弾けない。
音を出すことが「タッチ」の基本と考えるより、音の後始末を基礎のタッチと考えるのは?

ドイツが戦後、まず最初に下水道から整備したのと似ている。
開放弦から始める。ごく自然だ。でも・・・・・・5フレットから始めたら?
いや、メジャーセヴンからスタートしたらどうだ!?
常識を捨てる。

そういえば・・・・・
虹人は、自分が初めてギターを弾いた時のことを思い出した。

   虹人にギターを教えたのは、盲人で病気で寝ていた兄だった。
   だから、虹人も目を閉じて、横になって弾いたのだ。
   それで十分弾けたし、楽しかった。

   楽しかった!  これだ!

楽しいのが基礎練習! それは??  人により内容が違う・・・・・・・

具体策は何も思い付かないまま、時だけは容赦なく過ぎる。
そんな、ある日

「あのお・・。どうしても半年でバッハのガヴォットを弾きたいんですが・・」

初心者の横田君は焼肉屋の独り息子。半年後にドイツへ修行に出る、らしい。
可愛い子には旅をさせる・・・・・らしい。
虹人の演奏するバッハのガヴォットを聞いて、ドイツに行くまでに、
どうしてもガヴォットを弾きたい!
そう思った・・・・らしい。

さて、ギターを初めて持って、しかも、すぐにガヴォットから弾きたい!

!!!!なんという具体的な目標! 具体的な対処。  分かり易い!!

「分かりました。半年で弾けるようにしましょ!」
「ホントですか!  出来ますか?」
「大丈夫。できます!」
なんの根拠もなく言い切った虹人。そして・・。

「では、第1日目は、ストロークから始めましょう。」
・・・・これは腕を使うやないか!そうか、スタートはストロークや!・・・・
考えるより口が先にしゃべる!
それから、自分で納得している?????さらに、
Eのコードを左手で作ってもらう、どんな方法でもいい! どんなに不細工な形でもいいからEコード。
そして、そのEをストロークで堂々と弾く。ここからスタートした。

バッハのガヴォットの最後の和音!
曲を初めから弾くのは常識!だが、終わりから弾くとどうなる??

半年後、横田君は、ガヴォットを自分なりに弾けるようになり、ドイツへ旅立った!

メソッドに順番などない!!


●第1部 終了
人を幸せにする「音」を求めて練習を模索する虹人。
その第一段階は「美しい音」。これは10年で会得した。だが・・・
「美しい音」は人を不幸にする・・と助言される。

テデスコの子守唄をギターと一緒に朗読したい、と申し出た生徒さんに
「アルペジオではなく、風にして下さい!」と言われる。
1週間後、風を表現するには、その前段階にヒントがあることを見つける。
そして、その鍵は右手の親指!
音は「出す」より「止める」方が先。
どんな曲も始めは準備(止めた状態)から始まる!!
無駄とも思える練習から、独り二重奏の感覚を知る。
基礎練習のアルペジオに一大変化が起こる。
それは「遠回り」

ある日、自分の力ではない、何か別の力で「楽園サウンド」が出る。

ところで、虹人という名前はモチロン芸名。
天の鼓(つづみ)というお話に出てくる主人公の名前が虹人という。
また、カザルスというチェロの巨匠が「音楽は虹だ!」と言う。
それで、これを自分の名前に付けてしまったのだ。

焼肉屋の息子、横田君が半年でバッハのガヴォットを習得してしまったのを期に
虹人は新しいメソッド作りに意欲を出す。


●第2部  謎の神様
その日も虹人は朝からアルベニスのアストリアスを練習していた。かれこれ1ケ月になる。
弾くだけなら特に難しい曲ではない。
今虹人が練習しているのは、曲の出始め数小節だ。
このたった数小節・・・・それも同じパタ〜ンの繰り返し・・・・・に1ケ月以上かけている??

「ふ〜〜っ、やっと自由に弾けるようになったぞ!」
思わず声に出してしまった虹人は、
「出来上がると、これが一番単純な弾き方やが・・・・・な〜〜んもしてない!ように見えるし、
 聞こえるなあ・・・!」

ところで、虹人は<自分は不器用な人間だ、だから自分が出来れば、誰でも簡単に出来る!>
と思い込んでいる。
実際は、自分の歩んでいる道は、自分の為に用意された手順であって、
人はまた違った順番で現れるのだが・・。

この時点では、完全に勘違いしている。

ここで、虹人の独り言と、神様の声を聞いてみよう・・・・

「たった、これだけのことに1ケ月もかかるとは・・余程自分は不器用な人間なんだなあ〜!」

  ・・・・ちゃうちゃう、今だから出来たんぢゃ。時期というもんぢゃよ・・・・

「1ケ月前に見た、セゴヴィアさんの映画! 
 
 あれを見たギタリストはみんな、練習してるやろなあ・・」

  ・・・・ん??? だあ〜〜れも気が付いてないよ。だ〜〜れも・・・・・

「まるで、音と映像がずれていたみたいやが、カッコ良い!」

  ・・・・虹人以外は全員、「音」と「映像」がずれて気持ち悪いなあ〜と思っていたよ・・・・

「アストリアスを基本にしたら、きっと全てのアルペジオに発想が湧く」

  ・・・・それは、虹人だけや! 
   そもそも「湧く」という概念が人とは違っているんやで、アンタは・・・・・

「午後から、新しいアルペジオの<型>を作ろう!!」

  ・・・・ま、そこが他のギタリストと大きく違っておるんやが
     さてっと、さらに勘違いさせてみようか・・
    それとも、華々しいギター人生に方向転換させようか
    サイコロで決めるか!  エイッ!  ・・・・・・・・

神様にサイコロの丁半で決められた虹人の人生は、これから、たった独りだけで、
さらに遠回りの道へ入り込むことになる。


●この世は試練の場
虹人は、自分が何かを会得すると、必ず生徒さんの誰かに試す。
今日は川口君という、大学のギタークラブ(主将)出身の生徒さんが、そのターゲット。

「川口君、アストリアスを弾いてみようか?」
「はい、得意です!」
彼は有名な曲は、たいがい弾いた経験があるので自信たっぷりに弾き始める・・
・・・・「うまいもんやなあ〜〜。よう動くし・・。」
「・・・・なにか企んでますか?」
・・・・「アドバイスしたいんやが、すると、弾けなくなるんで・・・。」
「また!ですか?・・・・」
・・・・「スマンなあ、実験台やと思て、聞いてみるか?」

川口君は、特に目的があって習いにきてるのではない。
最も、始めの頃は、とても熱心で、1週間に2〜3度は必ず来て、しっかりとレッスンを受けていた。
今は虹人と話すのが主たる目的で、ギターは「おまけ」みたいな存在となっている。
その川口君が、一通りの説明を受けた後、しばらく練習していたが、
「先生! これは、無理ですね! 全く弾けませんわ。」
「やっぱりなあ・・・・1ケ月かかったんよ。」
「先生が1ケ月もかかったこと、僕がすぐに出来る訳ないですやん!」
「そうやわなあ・・君なら出来る・・かも・・と、思ったんやが、スマン、スマン」
「そやけど、聞き比べたら、今までの弾き方では・・・・聞けませんねえ・・・」
「そやろ!というか、なんで、こんなこと気が付かんかったんやろ」

   さて、ここでちょっと異次元世界に目を向けてみる・・・・神様の世界・・・・

   ご存じかも知れませんが、人間はみな何かしら試練を受けるために
   この地球に人間という形で生まれてきました。
   虹人は4つの仕事(使命)を持って生まれたのですが、それを時々軌道修正
   しながら見守っている「神様」がいます。
   虹人の使命を言葉にすると・・・・「時空」「音域」「調和」「信頼」です。
   時空を自由に越えられる。音域を使った仕事に就く。調和を求める。信頼を築く。

   虹人を見守る神様の1柱<おっとっとの神>略して<おと神>。
   この<おと神様>は危険なことや冗談が好きで、
   人を喜ばせることになると力を発揮させます。

おと神様が、虹人のレッスンを見ていて・・
   ・・・・また、やっとる。どうも虹人の勘違いは治らんなあ・・・・。
     こりゃあひとつ、新しい試練を与えるか!」

前にも書いたが、虹人は、自分が出来ること、解かることは、
誰でも簡単に解かるし、出来る!と思い込んでいる。
なぜ、そんなことになったのかは、彼の生い立ちを説明しなくてはならない。
ま、物語が進行していく中でおいおい説明することにするが、ここでは1つだけ記する。
彼の記憶では、小学校時代、褒められたことが1度もない。
もっとも、おこられたこともない。
実際には、あるのだろう・・・・が、虹人の記憶には「ない!」のだ。
これが勘違いする性格と、どう関係あるのかは、モチロン知ったことではない。

本来は自分を守ってくれる神様に、新しい試練を与えられた虹人。
もちろん虹人自身、自分の使命が何かを知っている訳ではない。
今日のレッスンが勘違いとも思っていない。
たぶん、人間のほとんどは、何も感じていないはずだ。

ところで、いったい<おと神>様は、どんな試練を与えるつもりなのだろう・・・。
これを読んでいる暇な人に、そっと教えよう・・・・・
    ・・・・一度、死を経験させよう!・・・・
    おっと! さすがは<おっとっと神様!>


●死後の世界? 生前の世界?
<おと神様>の計画など知る由もない虹人は、いつものように寝て、いつものように起きて、
いつものようにギターを持って、いつものように練習をしようとしたが、

「だるい、なんか寒いなあ、」
梅雨に入ってから、すでに1週間は経っている。寒い訳がない・・・・

「さぶ!、あれれ・・・・これは、おかしい!!」
虹人は熱が出ると、瞬く間に38度を越える。

「寝よ!」
布団を出して、寝る。寒い、ムチャクチャ寒い!

「これは、ただ事ではないぞ!」
あわてて体温計を脇に挟む。寒い!

「あれれ、なんかヤバイぞ、頭が・・・」
さっき挟んだ体温計を出してみると!!!42度までしかない表示を越えて、まだ上がってる!!

「そんなアホな!・・・・・」
「ん? お尻の穴が開く・・・・・オシッコもウンコも 
 ・・・・おお!気持ち良い・・・・みんな出てる・・・・・・」


  ・・・・ここは、どこや? 京都のお寺みたいやなあ

  ・・・・蓮の葉っぱの上で座ってるがな・・・・・・

  ・・・・足し算してみよ、え〜〜っと、いち・・・・た・・・す・・・・

  エエ気持ちやなあ!・・・・・

「考える」ということが停止すると、なんという快感! 
言葉には出来ない快楽の海に浸かっている。

次の瞬間、光輝く玉の渦の中にいた。
その輝きは言葉では表現出来ない、眩しくない! とにかく気持ち良い。

「死?」いや、「生まれ故郷!?」
そして、次の瞬間・・・・・
ウンコまみれの布団の上で気が付いた。  

「気持ち悪!」
  ・・・・思い出した! ものすごいことを思い出した!

「親を選んだ!」
「自分が選んだ親やった。」

虹人の父は、虹人が生まれる前に癌で死んだ。
母はお妾さん。物ごころ付いた頃、

「なんで死ぬことが分かっているのに生むねんな、しかもお妾さんに・・・。」
「死んで、親父にあったら一言文句言わな・・。」
そう思っていた。

「父親の顔知らんがな。冥土で会っても、分からんがな!
  コラ! 親父! あ、名前も知らんがな!!」
だが、事実は全く違っていた。自分が選んだのや! 親を!

名前も、顔も、知らん、親父殿。スマン<m(__)m>。
一度「死」を経験して、この世に戻って来た虹人は
「親を選んで生まれて来た!」ことを思い出した。

   ・・・・フフフ、虹人よ、これがワシからの試練の贈り物ぢゃ!

   このことで、何故、人間として、今、この地に生まれ、育っているか、感じよ!・・・・


人間は生まれた時、過去の記憶を消去される。
   (どうやら1週間で全てを忘れるらしい)

生き返った時、親を選んだことを思い出した虹人は、

「つまり、生まれる前の世界、あの光輝く玉は魂なのか?」

「・・・・すると、・・・・」
思考がグルグル頭を駆け巡る。

「つまり、ギターを弾くことで、何かを成し遂げる為に生まれたのだな!」

   ・・・・おお! 感じ始めたな・・・・

かなり哲学的になっていた虹人だった、が・・・・布団の中で臭い現実を前に

「ふ〜〜っ、とりあえず風呂入って、布団をなんとかせんと・・・」

その時、妻の加代から電話がかかる、

「もしもし、あ〜〜、加代か、あのなあ・・・・情けない話やが、布団でウンコしてしもてん!」
「アハハハハ・・・・・出る時、顔色悪かったから心配してたけど、
 それだけアホ言えるんやったら大丈夫やな。」
「あの・・・・・ジョークちゃうねんけど・・・」
「ほな、な」ガチャ!


●日野君
一度死んだはずの虹人が、またこの世に舞い戻って来た。
つまり、誰かの命を頂いた・・・・。
余程大切な使命があるのか?! それとも、別の理由、・・気まぐれ・・、神様のきまぐれ・・・

4月 新しい生徒さんが玄関に。
  「光ってる・・・・!」
新しく入門してきた高校生に後光が射している。
  「なんぢゃあ、この子は・・・・」
「あのお・・先生ですか?」
  「ん? ああ、そうぢゃよ、ワシが先生」
「頼んなそうやなあ〜〜。」
  「なにか言うた?」
「あ、別に、ギター教えて下さい。」
  「いやです!」
「・・・・・・・・・・・」

こうして無事虹人の生徒になった高校生、日野君。
  「君、クラブは?」
「まだ、入っていません。」
  「じゃあ、・・チェロ弾きなさい。」
「はい!」

驚くほど素直な日野君は、そのまま弦楽部へ入り、3年後には京都芸大へ、今はチェリストとして全国で活躍している。

その日野君は熱心にギターを習いに来るのだが、虹人は教えることは一切しなかった。
ある日、いつものように学校帰りに、まるで喫茶店にでも寄るように、教室へ来た日野君に・・

  「バッハのガヴォット、知ってるか?」
「はい、聞いたことあります。」
  「明日、発表会があるんよ。」
「発表会ですか・・。」
  「そう、君、明日、ガヴォット弾いてみ・・。」
「・・・・・・・・・・」
  「聞いてる?」
「・・・・・・・・・」
  「そういう訳やから、早よ帰って、練習し。」
「そんなアホな!」
素直な日野君は、すっ飛んで帰っていく。

ところで、なぜ虹人は日野君になにも教えないのか?  それは、
一目見て、日野君は自分よりはるかに音楽のレベルが高いことが分かった。
自分よりレベルの高い人間に教えることは出来ない。
確かに、今は経験の差で虹人の方が上手い。
なんせ、日野君は超初心者なのだから。
だからといって教えてはいけない!
「教える」ということは、言い方を変えれば、「押しつける」ことと変わらない。
才能がある者には、教えない! これが虹人の生き方。
これが自分が習った経験から、絶対の基準にした虹人。

教えなくても、自分で勝手に吸収していく。
彼が感じたように弾く。それで良い。
ガヴォットは凡人が半年で弾いた経験がある。凡人が半年なら、才能ある人間なら1日で十分。
はたして、次の日。うつろな目で会場に来た日野君は、
「なんとか覚えました!」
  「そうか、エライエライ。」

それから高校を卒業する約3年間、何も教えられることなくギター教室に通い続けた日野君は、
「先生! 京都芸大を受験しようと思うんですが、・・・」
  「うむ、そらエエ!」
「僕、才能あるんでしょうか?」
  「あるよ!」

 才能のある者は、自分から聞ける。ない者は・・・・何かに「しがみつく」・・・・
 それは「しがみつく」という才能ぢゃ!

「先生、ダメでした。」
受験当日、たった今受験しての帰り、日野君はいつものように教室へ寄り、
「何も弾かせてもらえませんでした。」
  「何も・・・・って、音ぐらい出したんやろ?」
「いえ、調弦してたら、もういいって言われて・・・」
  「なんや、弾いたんやないか。」
「いえ、調弦だけです。それも、なかなか合わなくて、結局調弦も出来なくて・・」
  「大丈夫や! 合格してる。」
「何人か一緒に受けるんですけど、僕の前で弾いた人は、メッチャ上手くて、・・」
  「その人は落ちてるで。」
「え? 聞いてないのに分かるんですか?」
  「当たり前だのクラッカー!」
「なんですか、それ?」
  「知らんでエエ。 あのなあ、この俺でさえお前を一目見て分かったんや。
   君の先生になる人は、どんな人や?」
「日本一の先生です!」
  「合格や!おめでとう!コングラチュレーション。」

後日、合格の知らせに来た日野君は、
「黒沼先生に聞きました。なんで、僕合格したんですか?って」
  「なんて言ってた?」
「見たら分かる。1音聞いたら分かる」
  「そらそやろ、で・・・」
「僕の前に弾いた、上手な人はなんで落ちたんですか?って」
  「ふむふむ・・」
「彼は、あれが精一杯や。あれ以上伸びない。せっかく練習したのだから、全曲聞いて上げた」
  「なるほどなあ!!・・・」
「僕とは、今から4年間教える。あの時は時間の無駄や。って言うてました」
  「エライなあ! さすがやなあ! やっぱりなあ! ふ〜〜ん!」
  「そや、合格祝いに、これあげる!」

それは、虹人が大切にしていたベートーベンの交響曲全集の楽譜(豪華な本!)
それと、小判で100両・・・・・!

虹人は、教えないレッスン。教えられないレッスンを経験出来たことを、独り誇りに思っていた。

  ・・・・ま、今回の試練は、一応合格にしておくか・・・・・<おと神>


●岡田君
勘違いというのは誰にでもある。
内容によっては重大な結果を招く。

ギター界は大きな勘違いをしているのに堂々としている。
日本だけではない、世界中のギタリスト。
なにが勘違いか? 
「指だけ動かして弾く」
「爪だけを使う」
「ギターの音は小さい」
これが勘違いビッグ3。
これに、「消音はしなくていい・・」
が加わって、より堅固な構えで堂々としている。

ギターは「腕を中心に手首で弾く」と言い切っても過言ではありません。
ただ、その時、指先が弦に当たっているので「見た目には指が動いて」いるのが本当の姿。
しかし、ほとんどのギタリストが「指運動」だけで弾いている。
ところで、ほとんどのギタリストが「指運動」なら、それが正しいのでは? 
と、思う向きもあるだろうが、それは単なる「無知」。  

芸術の世界は民主主義ではありません。
いつの頃からか「大勢がやっている=正しい」みたいな勘違いが出来上がっている。

爪は確かに使う。が、爪で弾くのではない。
爪はほんの一部だけしか当たらない。ほとんどが皮を使う。
そして「ギターの音は小さい」と思われていると都合が良い。
ま、勘違いなのであります。
音が小さいから消音の必要もない?・・・・

さて、虹人は、セゴヴィアさんだけしか見えてないので、
他のギタリストが何を目指しているのかは眼中にない。
「ない」というより、ギタリストは皆「セゴヴィア」を目指している!と勘違いしている。


「先生! 正しいタッチを教えて下さい。」
・・・・「知らん!」
「え? アハハハハ・・・・・初めてです。」
・・・・「何が?」
「知らん、と言われたのは初めてです。」
・・・・「知ってたら、自分がやってるがな。」
「大阪のほとんどのギター教室へ行ったんです。」
・・・・「で、正しいタッチは、教えてもろたんか?」
「はい。それが、・・・・音聞いたら・・・・・・アホみたいな音で・・」
・・・・「ま、それは、それとして。残念やったな。」
「あのお・・。先生はどんなタッチで弾いてるんですか?」
・・・・「タッチより、出た音で判断したら?」

その時点で、ジャズ・バンドのリーダーをやっている岡田さんは、セゴヴィアのギターを聞いて
クラシック・ギターを弾きたくなった。
で、ある日「アルハンブラの想い出」を、ヤマハに行って録音されている全てを試聴したらしい。
結果は、セゴヴィア以外は全て「アホみたいな演奏!」
1小節聞いただけで後は聞く気になれません!  とのこと・・・・
・・・・「しゃあない。では、そのアルハンブラの想い出を弾いてみます。」

虹人が演奏し始めると、岡田君はボー然として聞きいってしまった。
「先生! そのタッチ教えて下さい。」
・・・・「これは私のタッチで、正しいタッチとは違います。」
「それを教えてください。」

それから熱心に指導を受けた岡田さんは、
「2年ください。」
・・・・「何年でも・・。」
「2年間、練習してみます。」

はたして、2年後、岡田君は、再び虹人の前に現れ、
「ここまで、出来るようになりました。」
・・・・「まあ、そんなもんやろ。なんせ俺もまだまだ途中やから・・・。」

「次は楽器です。先生のラミレスは僕には大きすぎるんで、もう少し小さいギターが欲しいんです。」
・・・・「それならハウザーしかないが、高いで。」

虹人は、この道へ入ってすぐに、ギターを1台作ったことがある。
製作家の、山梨君という若者に頼んで、2年かけて製作したのだ。
おかげで、ギターの構造については少し詳しくなった。
そして、製作家も、勘違いのオンパレードであることも解かった・・。
「音」ではなく、その見栄えに目がいっていることを知る。

「結局、音を知らない。音が出せない。それが全ての元凶だ。」
そう結論づけて、タッチの道へ入り込んだ訳だが、それなりの成果が出るのは、
虹人63歳を越えなければならない。

さらに最終タッチ「揺らぎサウンド」を会得するのは、その1年後になる。今はまだ30歳半ば・・・・。

   ・・・・まだまだ試練を受けないと、教えてあげないよ!・・・・


●ガス漏れと換気扇
腕を使い、手首の回転を中心にした右手のタッチで、虹人の出す「音」はそれなりに力強くなった。

比較すれば、それなりに評価を得た・・かもしれない。
この頃、虹人は録音に凝っていた。録音した音でしか判断出来ない、とも思っていた。
そして、比較の対象はモチロン、巨匠セゴヴィア。

セゴヴィアがコスト、アグアド、ソルの初級用練習曲を録音したレコードは虹人の宝物。
この中からコストの3曲は「音」の確認には絶好の題材。
レコードを流し、それを録音する。その直後に自分が弾いて、それを録音する。
それを比べる! ガッカリする。 
しかも、録音を繰り返す度に、つまり練習を重ねるごとに、差が広がっていく。
このままでは虹人はヤバイ!

   ・・・・しゃあないなあ・・・・1つヒントをあげまひょ・・・・

友人のギタリスト石川君が、いつものように夕食時にやって来た。
「おお!ちょうど夕食や、一緒に食べよ!」
「そのつもりや!」
いつものように一緒に食べながら、しょうおもないことを大層にしゃべって
「ほな、帰るわ、ごちそうさん!」
「あ、そや、石川君。ガス漏れの時は、換気扇のスイッチ入れたらあかんで!」
「なんぢゃとて?」
「それが原因で爆発するのやて」
「なんのこっちゃ、抹茶に紅茶・・・ほな、さいなら」

虹人が、なぜこんな話をしたのかは? この後すぐに分かる。
モチロン、この時は言った虹人も「わけわからん?!?!」
「勝手に口がしゃべりよった????」だったのです。

次の朝、石川君が、あわててやってきた。
「あのなあ!」
「どないしたん?かなり興奮してるように見えるけど・・」
「あのなあ!」
「さっき聞いた」
「昨日なあ、虹人がなあ、俺がなあ、帰る時になあ、」
「あのなあ・・・・・なあ抜きでしゃべり!」
「ガス漏れの話したやろ」
「ああ、したした・・それが、どうした?」
「昨日の晩、隣がガス漏れしたんよ」
「エエエエエ!」
「変なニオイがするんで、隣に行くと、開いてて、中入ると、臭い!」
「・・・・・・・・・・・・」
ガス漏れを発見した石川君は、慌てて、換気扇のスイッチに手を伸ばし・・・・
その時、「換気扇のスイッチ入れたら爆発するで!」という言葉を思い出した!
元栓を止め、窓を開け、逃げた。すぐに消防署に電話する。
「危なかったなあ!」
「昨日、聞いてなかったら・・・・確実に死んでたな!」
「ほんまやなあ・・・・」
「消防署のおっさんが言うてた。よう換気扇のスイッチいれんかったなあ!
それにしても、迷惑な自殺の仕方や!」
「自殺かい・・・・」
「あ〜〜、腹減った、なんか食べさせて・・・・」

私には、何か別の力が憑いているな・・。虹人は直感的に感じた。
ということは、石川君は・・・・・・これは、なにかのヒントに違いない!
ところで、彼はこの事件の2年程前から、ギター製作家になるための勉強をし始めた。
このことと関係があるのかも・・・・・
虹人は、自分が作ったギターを取り出して、
「何かある・・??・・・なにか・・・・・」

   ・・・・そうそう、今石川君に死なれたら、お前が困るのよ。・・・・
   ・・・・さて、次なるは、渡邊君か・・・・

その頃、若手のギタリストが集まって「派閥をなくそう!」という活動を始めていた。

明日は神戸で、その記念のコンサートがある。
虹人も参加して石川君作のギターで演奏する。

その時、京都のギタリスト渡邊君が、工夫を凝らしたギターで演奏する音を聞いて、
虹人は新しい道へ入ることになる。


●神様の計画
現在、虹人の使っているギターは、1961年製ホセ・ラミレス(AM)松 
ブリッジレス(ダイレクトシステム).。自身で改造したものです。

「安全」という言葉が独り歩きしだしたのは、そんなに古くはない。
なんでもかんでも「安全」が第一!そう思い込まされている。
芸術や冒険から最も遠いところにある。

製作家も、家具職人からの転職が多い。
手先が器用な人の遊び! さらには木工が好き!からの転職が多い。
「ナメトンノカ!!」時々虹人は叫ぶ。ごく小さい声で・・。

具体的な「音」「ギターの音」を知らないで、想像だけして・・・・・・。
それも、意味不明な美辞麗句を並べ立てるだけで「作れる!」と思い込んでいる
・・・・プンプンなのだ。

弾く方も「壊れにくく、美しい音が簡単に出るギターが欲しい、あ、それも安くて・・・」  
ドアホ!でございます。

ある時、製作家希望の馬鹿者・・・・若者が
「どんな音が出るギターを作ったらいいでしょう?」
と質問してきたことがある・・・意味不明な質問だが・・・・・

「ハウザーのようなベース。ラミレスのような高音。フレタのような共鳴。・・・
ま、とりあえずビール・・・・・違った、・・・・とりあえず、そんなギターを・・」
もちろんギャグである。冗談で言っただけ・・・・・・なのに、
「分かりました、作ってきます!」ぢゃと・・・・・・・豆腐の角で頭打って死になさい。

人間、なにか新しいことや、少し冒険する時は、安全など考えてはいけません。
死ぬ覚悟で臨むべきです!死ぬ思いをしないと、なにも見えないのです。
もちろん、だからと言って、本当に死ぬことはないのですが・・・・・。

友人のギタリスト渡邊君は、音がずば抜けて素晴らしい訳ではない。
テクニックがスゴイ訳でもない。
ま、どこにでもいるギター弾きです。その渡邊君が、若いギタリスト10人以上が弾く会で、
「アレレな音」を出しました!
良く通る、ハッキリとした音でした。明らかに他のギタリストを越えていました。

演奏後、控室に行き、
・・・・「なにがあったのや?」
「どうやった?」
・・・・「素晴らしい音やったで。」
「ホンマけ!」
彼は語尾に「ケ」をつけるクセがある・・・
・・・・「その、ブリッジに付いている、けったいな物は、なんじゃらほい?」
「これケ。俺の考案した・・・・・名前はまだない・・・・もんやんケ。」
・・・・「ふ〜〜〜ん??」
「弦の留め方を工夫するべきやと思っているんや。」
・・・・「そうケ・・。」


彼のアイデアにさらなる工夫を凝らして出来上がったのが「スーパーチップ」なのです。
商品として完成すると「なんでもない」物になる。
しかし、その最初の姿は・・・・・・お見せできないのが残念ですが、ブ・サ・イ・ク!

さらに、それから1年後に、すでにカナダでギターの修理屋、
製作家として活躍している石川君が一時帰国した時、
商品化する直前の弦留め器「スーパーチップ」を見せると、
「ふ〜〜ん・・・・・これやったらブリッジ要らんなあ・・・・」
とつぶやく・・・・・
この一言で、虹人は楽器調整の世界へ迷い込む・・・・

    ・・・・ここからは、少し遠回りしてもらうか、・・・・どっこいしょっと・・・・・

      ・・・・おと神はん、20年程休んでください。後はワテが見守りますさかい・・・・

    ・・・・おお! これは<横道の神>はん、あんまりいじめんといてやってくださいよ・・・・

      ・・・・ま、虹人には「人を楽しませる」という大きな仕事がありまっさかいに、
        それなりの経験を積んでもらわんとねえ・・・・

    ・・・・そうでんな、で、落語家はんは誰に決まったんですか?・・・・

      ・・・・確か、桂 雀三郎やったと思います。2年後ですわ、会わせるのは・・・・

神様の計画など知る人間はいない。 が、これが本当なのだ。
だから、目の前に起こる出来事は、全て試練として受け取るのが良い。
「何故、私が?・・・・・などと考えてはいけません。」

さて、虹人物語、序盤が終了しました。次は中盤、試練の嵐です。

練習では良い感じなのに、本番は全てダメ! の連続。
これは<横道の神>の仕事。
全ては、本物の「ギターサウンド」を得るための試練!


●第2部;ブリッジレス・ギター誕生
虹人25歳の時、山梨君のギター工房でヘルマン・ハウザーU世をモデルに作ったギター。
名前を「ペガサス」という。そのペガサスを前にして、虹人は考えこんでいた。

「竿を入れる時、角度を間違ったのは、この為だったのか?!」
ギターの竿を胴体に入れる時、当然胴体と平行に入れなければならない。
が、虹人はこの時、大きなミスをした。
胴体と竿が並行ではなく、かなりの角度が付いてしまったのだ。
このままの状態では弦高が高過ぎて左手で押さえられない。
つまり、楽器としての機能を果たせないから、単なる飾り物!
しかし、ブリッジを無くせば、弦高は思い切って下げられる・・。
「よし!」小さく声に出して、決心をした。

次の日、朝10時を回った頃、大阪にあるギター専門店「ファナ」に電話をかける。
・・・・「もしもし、虹人ですが、今日2時間程私に付き合ってもらえませんか?」
自作の「ペガサス」とノミ、そしてリューターを持って、家を出た。

ファナの福永さんは自ら楽器調整をする方。虹人のブリッジを取るアイデアに対して
「面白いアイデアですね。お付き合いしましょう!」
ブリッジのナット部分だけを残して、半分程ブリッジを取り払う。
ブリッジ跡のほぼ中央に弦を通す穴を開ける。
この状態で弦を張ってみる。音は?

「特に変化はありませんね」
ちょっと残念そうに福永さんが言う。
「弦を張ったままで、削っていきましょう。変化があるかも・・」
少し削っては音を出す。その繰り返し・・・・

期待した「音」の変化はなかなか現れない・・・。
・・・・「思い切って、ほとんど削ってしまいましょう」
ブリッジの木を全て削り取ってしまう!
・・・・「これで変化がなければ、失敗ですね・・」
なかば諦め気味で虹人が音を出す。

   ・・・・ま、何事もすぐに結果が出てはつまらん。
      しかし、思い切って削りよったなあ!よしよし・・・・

たった1音、@弦の開放弦を虹人が弾く。
2人は同時に顔を見合わせる!!
「これは?!」
・・・・「ハウザーの音・・・」
世界初のブリッジレス・ギター誕生の瞬間。

その後、2人でしばらく試奏を繰り返し、やがて、なにやらヒソヒソと相談を始めた。

  ・・・・ま、これで10年は横道に入ったままやな・・・・

    虹人に憑いている<神>さんと、
    福永さんに憑いている<神>さんも、なにやらヒソヒソ話・・・・


時は流れ、1年後。再びファナを訪れた虹人は
・・・・「反応はどうでした?」
「買いたい!という方が2名出ましたよ。それも100万でね」
・・・・「それは面白い!」
「ハウザー二世と音の違いが解かった人は1人もいませんでした!」
・・・・「そりゃ、そうでしょ。私たちでさえ解からなかったのですからね」
「後は誰が作るか! 今のところ、誰も反応しません、不思議です。」
・・・・「私が、少しは売れているギタリストだったら反応するんでしょうが、ね」
「日本では無理かも知れないですね。ま、アピールだけはし続けます」

1年前、ブリッジレスに改造した「ペガサス」を、そのままファナに展示して
お客さんの反応を見ることにした虹人は
・・・・「自分のラミレスもブリッジレスにしてみます」
「それはまた、思い切ったことを・・・」
・・・・「そこまで実行しないと説得力ありませんから」
「私も広める努力しますよ」

それから30年後、店には福永さん製作のブリッジレス・ギターが展示されていた。

あの後、誰もブリッジレスのギターを作ろうしなかった。
意を決した福永さんは、自分の家を改造して工房を作り、道具を揃え、
自らがギター製作者となっていたのです。


●たかがギター;どうせギター
楽器の改造と調整は、その後も延々と続く。
が、その話からは一旦離れる。

自分の仕事に少しずつ誇りを持ち始めた頃、楽器の調整にも成果が出始める。
タッチにもそれなりの自信が出始める。 趣味の楽譜書きも慣れて来た。

そんなある日・・・・・山中さんという方に落語家の桂雀三郎を紹介される!

「虹人さん、落語とのコラボやりませんか?」
・・・・「落語とギターか? 面白ろそうやなあ」
元々、落語が大好きな虹人は、すぐにこの話に乗った。
そして、


「虹人はん、アンタ・・・・・ギターのこと・・・・」
・・・・「ん? なんです?」
「たかがギター、されどギター! と思てまへんか?」
・・・・「ん〜〜、特に考えたことないです」
「あきまへん。そんなんやったらホンマのこと分かりまへんわ!」
・・・・「そうですか?」
「たかがギター、どうせギターです、わ」
・・・・「え?」
「声に出してみなはれ、世界が変わりまっさかいに・・」

高座での雀三郎とは全く違う口調。ボソボソと独り言のようにしゃべる。

「声に出すと、ふっきれるんですわ・・」
・・・・「そんなもんですか?」
「そんなもんですわ」

ややあって・・・・
・・・・「たかがギター。どおせギター!」
思い切って、少し大きな声で言ってみました。  すると・・・・

・・・・「あれ!? 何かが変わったぞ??」
「そうでっしゃろ。 もうギターの存在が身体の一部になったんですわ」
・・・・「ふむ、確かに今、身体の中で何かが変わったぞ??」
「されど、ギター・・なんて言うてるから、いつまでも自分のものになりまへんねん」
・・・・「そんなもんですか?」
「そんなもんです、わ」

この時から、阪神大震災のあった年までの約10年間、雀三郎と一緒にした仕事は、
虹人の進むべき道を示す「道しるべ」となった!と言っても過言でしょう! 

    ・・・・コラコラ、そんな「落ち」は知らんで・・・・


●落語とのコラボ
落語とのコラボ!最初のステージは、虹人の自宅。

ぎゅうぎゅうに詰めると、40人ぐらい入れる部屋で始まった落語会。
軽い気持ちで呼びかけた。
ギターの時と同じ感覚で、家で落語会やります!ってね。
そしたら・・・・アッチコッチから、それこそ瞬く間に定員になってしまった!
そして、落語会当日を迎える・・・・・

今回の仕掛け人、山中君が高座を作り、天井に提灯をぶら下げ、テープで太鼓の音を流す。
かなり落語会のムードが上がる。座布団を床に敷きつめる。気の早いお客さんが訪ねて来る。

「すんません、ちょっと早過ぎましたか?」
・・・・「まだ準備中ですが、どうぞ。で、どちらから?」
「高松から、来ました」
・・・・「四国の高松!! 遠いですなあ・・!」
「雀さんのおっかけしてます」
・・・・「ああ・・・・。上がって、好きな場所に座ってください」
「普通の家ですなあ。よろしいなあ・・・」
・・・・「初めて違いますか、雀さんも」
「楽しみですわ」

油断してたなあ・・。ファン層が違う! 全国区や。 さすがや。
やがて雀さんも到着。隅に座ってくつろいでいる高松からのお客さんに、軽く頭を下げる。

・・・・「知り合いですか?」
「へえ、しょっちゅう見る顔です。ありがたいですわ」
・・・・「ほな、軽く打ち合わせしときまひょか」

最初に雀さんの新作落語「明るい悩み相談」、続いて虹人との対談。
そして、後半はギター演奏に古典落語「寝床」
対談は、打ち合わせなしのぶっつけ本番! 
これがエライ人気で、以後は目玉企画となる(当社比)

さて、太鼓の音が、雀さん登場の三味線に変わる。

   これより<>内が虹人の心の叫び。

   <お客さんは!もう笑ってる!!>

登場する三味線だけで、顔がほころんで、部屋が笑顔で一杯になった!

   <スゴ! なんやコレ?! 音楽会の緊
張感とは、全く逆やないか・・>

雀さん登場。割れんばかりの拍手に笑い顔。

「エライすんまへんな、ちょっと通りまっせ、エライすんまへん!」

ペコペコしながらお客さんの間を通って高座へ行く。
深々と頭を下げる。開口一番

「え〜〜ようこそのお運びで、私が桂雀三郎でございます、決して怪しい者ではございません!」
お客さんが一斉にワアハハハハ・・・・・

    <うまいこと言うなあ・・・・これ、いただこ!>

「いや〜〜、エエ場所でんなあ〜〜、こういう商売やってますと、
 今までいろんなとこでやらしてもらいますが、
 今日の島崎亭は今までで最高ですわ。」

    <ナント! そう言うんか! ギターとは逆や。場所褒めたことない・・>

本題に入る前に世間話のような話題をするが、オモロイ!受けに受ける。

    <普通の話が落語になってる! 高座で聞くより100倍オモロイ!
    たかが、落語。どうせ落語!  言い切る自信やなあ・・・>

そして、大笑いした直後、虹人も高座に上がって・・・・2人で対談スタート。

・・・・「オモロイでんなあ!・・・」
「そうでっか、ワタシも普通の家でやるの初めてですけど、
 お客さんの乗りが半端やないですなあ」
・・・・「私勘違いしてました」
「何をでんねん?」
・・・・「落語は、アホでは出来まへんなあ!」
「ええ? そうでっか?」
・・・・「いや、ホンマ、アホでは出来ません!」
「いや〜、まあ〜〜」(少しふんぞり返る)
・・・・「アホではできません!」(雀さん、ググット反り返る)
・・・・「賢こかったら、尚出来まへんなあ!」(前につんのめる!)

予定の10分をはるかにオーバーして、時々お客さんを巻き込んで2人でしゃべる。
ちょっと休憩してから、ギター演奏。さて、この雰囲気で弾けるのか?

お客さんは誰ひとり緊張していない。みんな笑顔で迎えてくれている!

   <弾きやすい! なんやこの雰囲気? 音がみんなの耳に吸い込まれるようや>

    ・・・・ふふふ、どうや虹人。これが日本の伝統芸能「落語」の力や
        この経験を、どう活かす?・・・・


全てがショックだった。笑顔で迎えてくれる時、音楽も落語もない!
緊張でシ〜〜ン!となっている音楽会の会場。
聞く態勢になっていない。演奏する態勢でもない。
世界に数人しかいない音楽の巨匠は、緊張と拍手で迎えるのが礼儀だろう。
しかし、普通の音楽会は、笑顔で迎えるべきや。
笑顔で演奏するべきや。
みんなを笑顔にさせる「力」  
たかが落語、どおせ落語! 
言い切る経験と実績!
「いったい何年かかるんやろ・・・・」

    ・・・・たこ焼き食べよ・・・・


●癖
日本の習い事とか「伝統芸能」には「型」がつきもの。・・・憑きもの?・・・

  ・・・・ドキッ! ん? なにか言ったか?・・・・

落語にも型があるそうだ。その型は秘密だそうで、話してはもらえなかったが、
どうやら7つある、らしい。
「ひょっとして、腕まくりか?」     

   ・・・・なんのコッチャ?・・・・

虹人は、最近3つのピアノコンサートに出かけた。そして、その3人に共通のクセを発見した。
演奏前に「腕まくり」なる行動をとるのだ。
3人とも、虹人は好きな演奏だったので「あれ?」が始まりだった。

特に、一ノ瀬夏美さんの「腕まくり」は圧巻!
まるで、今からピアノと腕相撲をとるのか? と一瞬勘違いしたほどだ。
そして、そのピアノは、絶品だった!
女流ピアニストの方は、たいがい腕をしっかり出して演奏する。
だから「腕まくり」をする必要がない。
ない!がクセで「ついやってしまう・・」
「クセにも型があったりして・・・・」
「クセの神・・・・・が、いたりして・・」

「音の性質を利用して<型>が出来ないかなあ・・」
「音の型。音の本質・・・・本質が聞こえれば、それが音楽」
「美しい音は・・・・本質を隠すのかも知れない」

   ・・・・そうじゃよ。本質とは「ミナカ」・・・・
   虹人は、やがて音の本質を会得するのぢゃよ。
   だから、急ぐでない。  
   それまでは、横道での経験が必要なんぢゃよ。・・・・

クセというのは、本人より周りの人間が気になる行為だと思う。
ギターの弾き方・・タッチ・・と考えると大変だが、
「クセ」なら、軽い。クセから本質への道?!?!
そういえば、クセは真似し易い・・・・・
セゴヴィアさんのクセは・・・・分かっていても真似は出来ない!
真似の出来ない「クセ」

   ここで、場面は虹人が生まれる少し前にまで戻る・・・・・

   ここはメキシコのとある別荘・・・・
   巨匠セゴヴィアとポンセがなにやら密談をしている。
   「今度の曲に、ギター弾きの悪い癖を取り除く仕掛けをしてみましたよ、セゴヴィアはん・・」
   「ほほお〜〜、この6つの小品やね、どれどれ・・・・」
   しばらくギターで弾いていたセゴヴィアさん・・
   「これは良い! これならクイッを発見するギタリストがアチコチで出るかも・・・」
   「そうでっしゃろ、セゴヴィアはん。 ただ、」
   「ただ、・・・・なんです?」  
   「それでは、冗談が入らないから・・」
 この2人は、ジョークが大好き。なにかしら曲の中にジョークを入れる。これは癖。
   「それなら、あと6曲足して、12のプレリュードとして刊行したらどないだ!」
   「ふふふ・・あんさんも、好きでんなあ。いつものように、レコードでは6曲しか弾かない!」
   「そういうこっちゃ!」
   「ま、クイッを使わんと弾いても、曲にはならんわ、この曲は。しかし・・・」
   「そうでんなあ・・・・なんでも弾きゃあエエと思ってるギター屋ばっかりやから・・・」

こうして、前奏曲9番を筆頭に6曲がセゴヴィアの演奏で世に出た。
楽譜としては12のプレリュードとして世に出た。

さて、場面は元に戻る。虹人が一冊の曲集を取り出して・・・・
「晩飯、ちょいと食べ過ぎたなあ・・・・そや、ポンセのプレリュード弾いてみよ。
確かセゴヴィア・アルバム10にあったなあ・・・・ドレミレド〜・・食べ過ぎた〜」

   ・・・・なに言うてんねん。それより、そのプレリュード集弾いたら、バレるかも知れんがな
     そんなことになったら、<横道の神>左遷されるがな・・・・

   ・・・・よこみちはん!・・・・

     ・・・・あ、おせっかいの神はん!・・・・

   ・・・・こんばんハ〜〜!・・・・

     ・・・・あんたかいなあ・・・・虹人に、あんなチャンス与えたんは!・・・・

   ・・・・へへへ、大丈夫や! まだまだ気が付くようなレベルちゃうし、虹人は・・・・

     ・・・・そらまあ、そやけど、万が一ということがあるさかいになあ・・・・

   ・・・・ま、ここで眺めてまひょ、日本酒でも飲みながら・・・・

     ・・・・おお! 大黒の大吟醸やないか! おおきに・・・・

「う〜〜む、なんのこっちゃサッパリ分からんなあ。だいたい曲にならんがな。止め!」

レベルがまだまだ低いとはいえ、諦める速度が早い。しかし、ここで諦めるのがベストチョイス。

そや、ショパン弾いたろ。あの曲で付点を会得したろ。決めた。

   ・・・・おい! おせっかいの神はん!・・・ちょっと、どこ行くねん!・・・・

     ・・・・用事思い出した。帰るわ、サイナラ〜〜・・・・           

   ・・・・付点か、ま、いいか、付点ぐらい。まだ無理やと思うし・・・・

     ・・・・ふふふ、付点など、60過ぎてからぢゃ! 
     今は、まだ弾けんことが解かるだけぢゃ!・・・・

「短い曲のくせに・・・・なかなか曲にならん!」
「付点が・・・・なにか違うんやなあ・・・・よし、じ〜〜っと見たろ! ジ〜〜〜ッ!」

天上での、神さんの会話にあった「クイッ」を発見するのは63歳、
付点の本質を感じるのはその1年先・・・・・。

    ・・・・ボツボツ進みや、虹人はん!・・・・


●茶道
虹人はギターの弾き方、右手のタッチを研究することで「音」に「命」を吹き込む!
そういう意気込みで、朝の基礎練習に取り組んでいる。
音を出すのは右手だから、右手に神経を集中させる。
一見アタリマエのようだが、これは落とし穴。
世界中のギタリストが落ち込んでいる「落とし穴」

左手の押さえ方! これと連動しているのだ。

ギターの場合、右手を縦振動で弾くと、「コツン!」音がする。
これをアタック音といいます。
この「アタック音」があるのと無いのでは、音の寿命が倍以上違うことが証明されている。

「音」は右手で出す。が、左手の助けを借りなければ、出来上がらない!
このことは、虹人63歳まで待たねばならないが、<横道の神>が虹人に憑いているので、
しばらくは「無意味」と思われる経験を積む。しかし・・・・


   ・・・・神は人に「意識の進化」に最も役立つ経験を与える。・・・・・


このことを身体の奥で感じている虹人は、自分の感覚を信じて
ギターの「技」と「型」を探すことに決めた。

カール・ルイスと言えば、虹人世代の英雄だ。彼が、その練習法をテレビで公開した。
確かな記憶ではないが、1週間のうち3〜4日しか練習しない、
それもかなり短時間(2〜3時間だったように思う)。さらに、その内容は、
一見すると、とても100mの練習ではない!それも、楽しそうにやっている!

「ナルホド! 道は1本ではないなあ。外から見ても、解かりっこない」
「セゴヴィアさんも、練習内容は語っていない。結果から、見つけられるかなあ・・・・」
「これは、インスピレーションに大活躍してもらわなアカン!」

    なんの変哲もない椅子を、ひとりの画家がじ〜〜っと見ている。
    長い間、じ〜〜〜〜っと見ている。
    やがて古ぼけた椅子の中に「本当の姿」を見た画家は、カンバスに向かって描き始めた。
    椅子は安物だったが、描いた絵には高価な値段が付いた。画家の名はピカソ。

「本質」を見る目、聞く耳、感じる心、これらが揃って、初めて成し遂げられる。

本能で感じとった虹人は、ギター以外の道からインスピレーションを得ることにした。
目の前にある「体験」を通して会得することを決意した。

「お稽古よろしくお願いします」

扇子を正座した前に置いて、お決まりの挨拶から始まる茶道。
虹人がお茶を習い始めて、すでに2年以上経過した、ある日。
・・「先生、お茶碗を大事に扱うのは分かるんですが、普段はここまで大切に扱わないですよね」
「そうですね、今は物が溢れていますから・・普段の生活ではないですね」
・・「なんとなくは理解出来るんですが、しっかり理解はしていません」
「では、来週、この意味を身体で覚えてもらいましょう」
・・「楽しみです」

そして、次の週・・・・・

先生は桐の箱に入った、高そうなお茶碗を取り出して、
「これは170万円するお茶碗です!」
・・「170万ですか! ギターより高い!」
「今日は、これで点てて頂きます」
・・「ギョエ〜〜!」
いつもは、お稽古用のごくお安い茶碗。170万と聞いて虹人に緊張が走る。

・・「なるほど! こういうことですか」
「はい、いつもと同じ作法ですが、違ったでしょう?」
・・「ぜんぜん違います。身が引き締まる思いですね」
「でも、これが二度目は、また違うんです」
・・「え?」
「来週、経験します」

そして、また次の週

「今日も、先週と同じお茶碗で点てて頂きます」
・・「はい、」
「どうです?」
・・「先週程緊張しません。というか、普通ですね」
「そうでしょう!1回目だけなんです。本当に緊張して身が引き締まるのは」
・・「そういうもんですか?」
「そういうもんです。来週は、また別のお茶碗で点てます」

「今日のお茶碗は140万ですから、前のよりはお安いです」
・・「いやいや、十分高いです。では、・・・・・・・」
「いかがです?」
・・「十分緊張しますね」
「でしょう! そういうもんです。だから、お茶会では同じ物は使わないんです」
・・「ということは、お金かかりますねえ!」
「はい、そりゃあもう・・・・」
・・「失礼ですが、先生は・・お金持ちですか?」
「ホホホホ・・、普通のサラリーマンですよ。でもね・・」

この時、先生は自分の生い立ちを話してくれました。

   普通のサラリーマンの家の収入で茶道を続けるのは、経済的に無理がある。
   しかし、先生は、ある時「茶道を自分の一生の仕事として生きて行く!」と決断されたそうな。
   モチロンなんの裏付けもなく決めたそうな。
   それからは借金しまくりで、道具を揃え出したそうな。
   やがて、にっちもさっちもいかなくなった・・・・でも止める気はさらさらない。
   「ま、なんとかなるやろ・・」
     
   そんな時、自分の持っていた土地の上を道路が通ることになったらしい・・。
   つまり、かなりの額で土地を国が買い上げてくれることになった。
   そのお金で、マンションを建て、今はその家賃収入でお金がうまく回るようになった。らしい。

「虹人さん。自分が成し遂げる事があれば、お金は付いてきますよ」
・・「そんなもんですか?」
「そんなもんです。目の前の困難の本質を見るんですよ」
 
   ・・横道その2 終了やな・・ちと昼寝でもするか・・・・


●マージャン
虹人がギターの道に入った時、
「結婚は出来ないな、・・・・・よし、諦めよ!」
そう思った。真剣にそう考えていた。
が、現実は・・・・・

ある日、先輩の杉浦さんが・・・・
「あのさあ、今日、代教(代わりに教えに行くこと)頼める?」
・・・・・「ええよ。どこ?」
「三井物産。梅田から、飛んでも八分、歩いて10分」 ( このギャグ分かる人はエライ!)
・・・・「あの〜〜、もし、気にいったら・・・・・・・・ず〜〜〜っと代教頼める?」
・・・・「ええよ!  ええ????」
なんの予備知識もないまま、言われた場所に行くと15〜6人が合奏している。
「なんじゃあ! マンドリン合奏!?  知らんで、な〜〜んも!!」
そして、虹人の前に現れたのは、ピカピカ光る女性(後の嫁さん)。

    ・・・・「決めた!君!僕の嫁さん!」

心の中で叫んだ。

「せんせい・・・・。今日は・・・・・・80日・・・・いいですか?」
ぼ〜〜っと見とれている間に、何か言ってる・・・・・・よう聞こえない・・・・・・ま、いいか。
「はい、ワカリマシタ!」  

部員は女性が中心で、ギターと指揮が虹人。マンドリンは別に先生がいる。
1回目のレッスンは、生まれて初めての指揮をすることから始まった。しかも、全部知らん曲。

「ほお・・・この曲、なかなかセンスエエな」
「あのお・・・・ビートルズのイエスタデーです」
「昨日か?」
「え?! マジで知りません?」
「はい!」
「信じられない!!!」
「あのなあ、君・・・・・ベートーベンのラズモフスキー第3番って知ってる?」
「なんですか?それ・・・・知りません」
「それと一緒や、君らの常識と俺の常識は違っているのや。そんなもんや」

やがて、彼女を得るための活動を開始するのだが・・・・・、彼女の父親は「マージャン」が好き。
マージャンが好きでマージャンをやるのではない!
加代さんを得るための1つの手段としてマージャンをやる。
したがって、弱い。そもそも虹人には賭け事の才能が全く無い。
マージャンで「勝った」記憶がない。

その虹人が、週に1度、ほんの4時間ほど、頼まれてマージャンを教えていたことがある。
相手は主婦。
「マージャンというのは、幸運の女神を、いかにして自分の味方につけるか? というゲームなんです」
受け売りを言いながら、最も自分に向いてないゲームを解説する。
「本当は賭けてする方が良いのです。お金がかかると人間の本性が垣間見えるんです」
これは経験から出た事実。

ところで、加代さんの父と一緒にやるマージャンは「オモロイ!」のです。
ミキタロはん(父の呼び名)は、マージャンのプロなのです。だからメチャンコ強い!
本当に強いから、一緒に遊んでて「面白い!」のです。

おしゃべりはモチロン面白いのです。が、それよりも「マージャン」そのものが「面白い!」のです。
「強い!」は「面白い!」のです。
この人には敵わない!となると、別の世界が出現するのです。なぜか・・・・。

         ・・・・・・・・そういうことぢゃ。 本当に強い。本当に上手い!が基本ぢゃ。・・・・・・・・

       基礎練習というのは、少し上手くなるのではない。

       本当に上手くなる為の第一歩なのぢゃよ。

       虹人には、まだまだ先のことぢゃが、  

       フ〜〜〜。さて、夜もふけた、屁こいて寝るか・・・・・・・・・・・・・・・


●ゴルフ
中学1年の夏休みに入った直後。
虹人は当時、ゴルフで学生チャンピオンになった清水さんとひょんなことから知り合った。

「虹人君、ゴルフやったことある?」
・・・・「いえ、ありません。」
「試しに打ってみないか?」
・・・・「はい、やってみます。」
そして、生まれて初めてゴルフクラブを握る。

「左手だけで、こう持って、軽くゆらしてみて・・」
清水さんは、初心者には、まず出来ないことを、さも簡単そうにやった、らしい・・。が、
虹人は、いとも簡単にやってのけた、らしい・・・。

「!!! え? なんで出来るの?」
・・・・「え? だって、誰にでも出来るんでしょう?」
「いやいや、大学のゴルフクラブに入って3ケ月ぐらいで、やっと出来ることや!」

このことがエライ誤解を生んだ。つまり、清水さんは「虹人にはゴルフの才能がある!」
と思い込んだのだ!  そして、
8月は、マンツーマンでゴルフの練習が始まった、ほぼ毎日・・・・・

そして、もうすぐ夏休みも終わる頃、
「う〜〜ん? おかしいなあ・・・・。最初のアレなんやったんやろ?」
・・・・「アレ?って??」
「左手でクラブを持って軽くスイングしたやろ・・。」
・・・・「はい。」
「握力が半端やない。握力どのくらいあるの?」
・・・・「左が55キロ。右は40キロぐらいです。」
「え!左利き?」
・・・・「いえ、右利きです。」
「????・・・・・」
・・・・「あの〜〜、僕、ギター弾いてるんです。」
「ギター?・・・それが、なにか?」
・・・・「セーハといって、握力が要るテクニックがあるんです。夜中に鍛えているんです。」
「なるほど!! それでか!!」

次の日から清水さんはコーチに来なくなった。ゴルフの才能は0だった。
ただ、この経験(たった1ケ月)のおかげで、コースに出ても普通に回れるようにはなった。

それから20年以上経って、家族でゴルフスイングをして遊んでいると・・・・・
「アンタ、上手いねえ。スイングが様になってるやん。」
・・・・「そうやろ。中学時代に、教えてもろたんよ」
「子供の頃に教わったことは、身体が覚えているんやねえ!」
・・・・「そうやなあ・・・・あの頃、ギター教えてもろてたら、今頃は、終わってるやろなあ・・。」
「早ければエエ!ちゅうもんやない訳や。」
・・・・「実は、あの頃・・もしゴルフ教えてもらわなかったら、ギター習いにいってたかも知れんのや。」
「へえ〜〜、ということは、ギター習わないようにゴルフの先生が来た!ということかなあ・・。」
・・・・「そうかも知れん。きっと一番良い時に出会いがあるんやろ。」

   ・・・・そやで、虹人は忘れてるやろが、あの時、カナディアンでギター教えていた
   ナントカ先生に1度だけ習いに行ったんやで。
    先生がエライびっくりして、月謝いらんから
    習いにおいで! 言うとった。 
    ま、虹人はゴルフでそれどころやなかったけどな・・・・

その夜、虹人は不思議な夢を見た。「夢」だと思った。真実は今も分からないが、

夜中に「グラナドスのスペイン舞曲第10番」という曲に起こされた!
起こされて「ワシを弾いてくれ!」

・・・・「え?!、スンマヘン、僕にはとても無理です」
「大丈夫や。今なら弾ける! 曲本人が言うんやから間違いない!」
・・・・「あんた、スペイン舞曲はんでっしゃろ?」
「そやで」
・・・・「そやでって・・関西弁ちゅうか、落語家みたいなしゃべり方やなあ〜」
「ほっといてか。それより、早よ弾いて!」
・・・・「分かった、分かった。ほな・・・・言うても僕は初見では無理やで・・・」

そして、曲に言われるまま、スペイン舞曲第10番を弾き始めると・・・・

スラスラ弾ける。まるで弾きなれた曲のように・・・・・

・・・・「あれれ・・・・なんでやろ。弾けた! スペイン舞曲はん・・・・」
・・・・「いない。 どこへ行ってん??」

そして、朝を迎える。

「オカシナ夢みたなあ・・・・それにしても実感あったなあ・・・。ホンマに弾けたりして・・・。」
と、虹人はギターを取って試しに弾いてみる・・・・・・っと、

「なんでや? 弾けるやないか? アレレ、全部弾けた! そんなアホな?!?!?!」
<キツネにつままれた>どころではない。有り得ない出来事が、今起こった。
これは・・・・・。

      ・・・・・・・・・そうじゃよ。ワシのジョークや。少しだけ「本当の姿」を経験させたのぢゃ!・・・・・・・・・

  虹人は、ギターと自分の関わりに深い「神秘の力」を感じざるを得なくなった。そして、

  これ以後、虹人のギターの先生は「夢」の中で行われることになる。


●囲碁
初めての子供が生まれた時、一つのきっかけとして囲碁を始めた虹人。 

生徒さんの勧めで、プロ棋士に指導碁を受けることになった虹人は、
「エライコッチャ」と一生懸命勉強したのです、ギターそっちのけで。
そして、初めて受けた指導碁でエライショックを受けました。

1人のプロ棋士に、アマが5人ぐらい同時に打つ指導碁。
局後(打った後に)並べ直しといって、今打った局面を始めから全て並べてくれたのです。

虹人は始めの3手ぐらいは覚えていましたが、
まさか・・・・・5人相手に、それぞれ全部覚えているとは?!?!?

それから半年後に50手ぐらいなら、ほぼ間違いなく「並べ直し」が出来るようになった虹人。
すると、不思議なことに、少し手順が前後しても、
だいたい全局「並べ直し」が出来るようになったのです。

で、5年以上経って、指導碁の途中で、偶然初めて打った時と同じような局面が出現した。
「あ、これ、初めて打ってもらった時に出た形ですわ・・。」
「ああ、そうでしたね、あの時は、こう打たれましたね・・。」
とスラスラと「あの時」の手を並べる!!!!
・・・・どういう頭の構造や?!・・・・
「なんで覚えているんですか?」
「スミマセン、職業病です・・・・」  はにかんでいる!
これがプロか!

虹人のような囲碁初心者でも分かる「スゴさ」を盤面上で伝える。それも、伝えようとしてではなく・・・。
プロとは?!  レッスン内容もさることながら、このような形でも伝えられる。    

・・・・そうそう、だから、虹人は本当は「なにのプロ」か?!やな・・・・
    そろそろ、ワタシの出番もおわりに近づいてきたようやな・・・・

   ・・・・こんにちハ〜〜!  

   ・・・・おお、久しぶりやなあ、時の精霊さん!・・・・

   ・・・・そやなあ〜かれこれ、350年ぶりやなあ・・・・

   ・・・・そうか、もうそんなになるか、で、セゴヴィア君はどうやった?・・・・

   ・・・・大成功や! うまく行きすぎた! 今や本物の巨匠や! ・・・・

   ・・・・おお! さすがやなあ。 で、今度は虹人か?・・・・

   ・・・・臨時なんや。予定は調和の神さんが来るんやが、風邪ひいてしもて、・・・・

   ・・・・あらあ〜、ほなら、ちょっとの間だけやなあ・・・・

   ・・・・そや、ただし、虹人が63歳になったら、また戻ってくる。・・・・

   ・・・・そうか。そら楽しみや。ほな、ワシ行くわ。・・・・

ところで、それから数カ月後、87歳の巨匠セゴヴィアが 来日する。
つい先ごろまで、セゴヴィアに憑いていた「時の精霊」が、ナント虹人に憑いた!

これは、何を意味するのだ!!!


●時の精霊
「時の精霊」は時空の神様。偉大な人間にしか憑かない!
その<時の精霊>が一時的とはいえ、虹人に憑いた!
しかも、つい先ごろまで、巨匠セゴヴィアに憑いていたという!
いったい、これは、どういう意味なのだ???

虹人の生まれ持ったキーワード「時空」「音域」「調和」「信頼」
これらの言葉は、そっくりそのままの「神」が憑く。

「時空」とは、時を越えて存在すること。時間というのは人間が作り出した概念。
宇宙には存在しない概念。宇宙には「活動と変化」しか存在しない。
活動と変化のないモノは存在出来ない。
つまるところ「安定」という状態は存在しない。これが宇宙。

ギターを弾いて、ナニを伝える? 
演奏の「ナニ」を聞く? 
言葉で説明出来る「もの」を聞かせるのなら、音楽は要らない!

芸術家という職業は「物事の本質を現す仕事」なのだ。

椅子をジッと見て、その本質を絵に描いた画家。モチロン<時の精霊>が憑いていた。
<時空>とは職業に置き換えると<芸術家>です。


本物の芸術家、巨匠アンドレス・セゴヴィアが日本に来る!
虹人夫婦は、自分達が出来る精一杯の正装でコンサート会場へ行く。

演奏会当日、会場近くのホテルのレストランに虹人夫婦と日野君の3人が入った。
「先生、今日は正装ですねえ!」
「あたりまえや。神様に会う心境やからなあ・・」
それこそ「夢」のような時間! 

セゴヴィアさんが演奏している! 
いや、その前にセゴヴィアさんが現れた!
歩いている!
座った!
右手で頭を軽く撫でた!
どれもこれもが虹人には、まだ夢を見ているようだった。

永遠の一瞬が終わった。
涙が止まらない。
会場を去りがたく、眼を閉じて、しばらく自分の世界に浸っていると・・・
   「私の後を継げ!私の謎を解け!」

  ・・・・はっきり聞こえた! セゴヴィアさんの声!
   日本語?  そういう声ではないのです。 
   耳に聞こえる声ではないのです。経験のある方には解かるんですが・・・・

   直接「心」に聞こえるんです。だから、「心」は存在するんです。
   あるいは、<時の精霊>の声かも知れない・・・・・。

   ・・・・そうだよ! それは私からの贈り物・・・・

   ・・・・ほんの一瞬だけ、私が憑いたのは、この日の為・・・・

   ・・・・もう、行かなければ、ほら、調和の神が到着した・・・・

   ・・・・すんませんでございます・・・・

   ・・・・ちょうど私の役目が終わったとこです。さすが調和の神・・・・

   ・・・・風邪ひいたで、ございます・・・・

   ・・・・では、虹人をよろしく、・・・・

   ・・・・はいはい、わかりましたでございます・・・・

さあ、えらいことになった!
<時の精霊>の声をセゴヴィアの声と聞いた虹人は、
高校生2年の化学、第一時間目の授業を思い出しながら、帰路についた。


●胡蝶
セゴヴィアさんからのメッセージは、虹人のギターへの取り組み方に決定的な方向性を与えた。
それは、全く未知への道。誰も知らない、でも一番大切な道。この道を探し出す仕事。

虹人が高校2年生の初めての化学の時間。
隅谷先生という小柄な先生が、
「この黒い小さな箱を、ブラックボックスという」
 「そのままやなあ〜」
「この箱に入っているものが、なにであるか。2時間、箱と格闘してレポート出すように」
 「・・・・・・・・・??」
「箱は壊したらアカン。以上、ほな・・・・・」

そう言って、教室を出て行った。
始めの3分ぐらいは、いろいろやってみたが、すぐに飽きて、
黒い箱を前にボ〜〜〜ッと時間を過ごす。

 「どないせえ!ちゅうねん。ギブアップや」

それから、20年近く経って、隅谷先生の意図が理解出来た。
「なるほど、そういうことか!」
箱の中には「大切なもの」が入っていたのだ!

今、虹人の前には、はっきりした道が見えている。
その道は「見えない道」「誰も通ったことのない道」
これだけハッキリしていれば問題ない!  わけがない!!

これは勘違いというより、 単なるアワテ者かも知れないが、自分の子供に名前を付ける時、
「聡子(さとこ)」と付けたつもりだった。が、役所で名前を書く時「恥子」と書いてしまった。
さすがに、読み方は「サトコ」なのだが、  どう読んでみても、「はじこ」
役所の人間も一言注意すれば済んだ話。実話です。
これは、名前の勘違い。ま、被害は1人だけで済む。

しかし、もし、ギターの弾き方「音」を勘違いして、
さらにその勘違いを広めて、勘違いが市民権をとったら、
今ある姿になる!
今のギター界、そのもの!
究極の勘違い!といっても過言ではない。 それは・・・・

勘違いすることで、本来ギター音楽をするべき人が、ギターの世界に来れない!
逆に、ギターの世界に無縁な人が堂々と入って来る!
これは批判ではなく、事実!
楽しみで弾くのに支障はない? ノー!

道なき道を探す手掛かりは???
毎日、頭を白紙にして、ギターの弾き方、押さえ方、音楽の感じ方、に取り組む。が・・・
一番難しいのは「白紙」にすることだ! と気が付いた。
そんな時期、虹人は夢をよく見るようになった。
そして、ある日。

「今のは、夢か?  それとも、今が夢か?」
本当に30分ぐらいは、区別がつかないで困ったことがあった。

それは、レッスンに関してなのだが。
JR本山駅の山側添いを少し東にいったところに虹人の音楽教室がある。(夢の中)
中はバーのようになっていて、カウンターと丸い椅子がある。狭い階段を上がったところがレッスン場。
モチロン生徒もいて、毎回一緒に弾いている。が夢の中!

起き上がって、あれ?
「今日は、レッスン、どこ行くんやった?」
「赤穂やったか?」 (赤穂も夢の中のレッスン場)
「いや、あそこは来週やった・・・・・???」
「え?!なんやコレは? この前石造りのホールで聞いたテデスコは・・・・、ん?夢か?!」
本当に夢と現実がゴッチャになってきた。ヤバイ!

夢の中の出来ごとの方がハッキリしている。
確かに、あの人が弾いていた。丸い石段状になった客席に虹人1人が座って聞いていた。
やがてあの人は私にギターを渡して、「弾いてごらん・・」
そして、私がギターを持って、どぎまぎしていると・・・・・別の部屋で机に向かって、何か書いている。

・・・あれ? このシチュエーション、前に1度あったぞ!
外へ出てみると、音楽家のように見える人がアッチコッチにいる。
見知らぬ土地だが不安はない。むしろ、懐かしい・・。
古めかしい部屋で、威厳のある指揮者がなにか話している。
突然、舞台の上に上がっている。「あれ、何弾くんやったかなあ・・」

こうして、別の空間で、別の人生を過ごしている・・・・・夢?  
だが、虹人には、まだ理解出来ない。
どっちが夢や?

   ・・・・虹人や、これから君は夢でレッスンを受けるのだよ。・・・・

   ・・・・夢というのは、本当は、最も自分の姿が出るのぢゃ。しかも、時には・・・・

   ・・・・宇宙の奥から発信している真実の姿を見せることもあるのぢゃ!・・・・

   ・・・・グラナドスのことを思い出せ! あれは、夢と現実の狭間。ぎりぎりの世界!・・・

   ・・・・ぎりぎりの世界!  これがヒントぢゃ・・・・

全ての経験を忘れて、白紙にする! 言葉では簡単。
言葉では簡単・・・・言葉・・・・ことば・・・・ことのは・・・・

そんな時、「大和言葉」と出会う。
大和言葉・・・・日本語。  
本当の日本語。
一音で意味のある言葉。それが大和言葉・・・・・日本語。

これは、日本人として、自分達の使っている、日本語・・大和言葉・・を根本から勉強し直す必要がありそうだ。
歴史の大っきらいな虹人が、2年間「古事記」の勉強をすることになる。


●大和言葉
日本の宗教は仏教ではない。神道・・神社です。
世界でただ一つ「教えの無い宗教」です。
「教え」がないから、説教もない。
なんでも「神」さんに頼む。

ところで、この「神」という言葉ですが、
「カ」と「ミ」に意味があるのです。
「カ」は幽玄、奥深さ、疑問。基本は分からないこと。 
質問するとき、最後に「〜か?」と言いますね。
「ミ」は本質、優しさ、微粒子。  実がある! などと言うわな。
つまり、日本語の「カミ」は、奥深い本質を「神」と呼んだ。
西洋のゴッドとは根本的に違がっている。

人間が見えるもの、聞こえるもの、触れるもの、感じるものの後ろには、人間には解からないが、
その本質がある!と感じていた。それが「カミ」
ところで、日本語の原点「大和言葉」は1音で意味があります。

「ア」・・・・人間が生まれた時、「ア〜〜〜!」と言います。
これは、今からスタート!という意味です。
   開いて広がるようすを「ア」といいます。明るいイメージが付いてまわります。
 「イ」・・・・生命、活動、強さを意味します。
 「ウ」・・・・閉鎖ですが、力が貯まる閉鎖。さらに「う」には治癒する力が備わっています。
   動物が唸るとき、力を貯めています。
   また、お腹が痛い時、自然に「ウ〜〜〜!」と言って手を当てます。
   この「う〜〜」と言うと、治りが早いのです。本当ですよ。
「エ」・・・・分岐、分かれて伸びるようす。
「オ」・・・・偉大、重要、を意味します。

これは、大和言葉の講義ではないので、紹介はこれぐらいにしますが、
昔から使われている言葉にあてはめると面白いです。

ところで、夢と現実の境が、少しあやふやになった頃、次々とインスピレーションが虹人を襲った。
そして、その頃、あるパーティーのバックでギターを弾く仕事が入った。

ギリシャの船会社の社長さん宅。50人ぐらいがウロウロしても、狭くない部屋! 
その部屋でギターを弾いていた。
  まあ、誰も聞いてないやろ・・・・
  なんせ、みんなペチャクチャしゃべって、飲んでるし・・・・・そや、
  フーガ弾いたろ! トン・トン・トン・・ト〜〜ン・〜♪   
  1人で練習しているのと同じ感覚で弾く・・・。
  弾き終わって、一息付いていると、

「今のは、バッハだね!」虹人の後ろに3人の紳士が立っている。
「はい、フーガです」
「ギターで聞いたのは初めてだ。素晴らしい!」
「ありがとうございます」
「今度、私の家でも弾いてくれないか?」
「ぜひお願いします」
そして、名刺を頂く。見ると○○製薬会社 会長!  そして、
「家には音楽ホールがあるので、コンサート形式で頼むよ」

もう、ビックリでした。来た〜〜〜〜! 
そして、連絡を待つこと1週間、2週間、3週間・・・・な〜〜んもない!  がっくり・・・・
後に知ったことだが、その会長さん、虹人に会った1週間後に、死んでいた!

   ・・・・まだ、早いわい。 それより、インスピレーションの受け方が、まだまだやなあ・・・・

これと、同じような出来ごとが、この数年後にも起こる。

JR元町駅の南を少し東に行ったところに、ある建築会社の社長さんが、
音楽活動が出来る、美術専門ビルみたいな物を建てた。
そのビルで毎月、コンサートを企画して、気に入った音楽家に援助する!
で、虹人にもその機会を与えてくれた。
そして、コンサートはなかなか好評で、それなりに気に入ってくれた。
が、そこの社長さんも、1週間後に亡くなった!
あらアアアアア〜〜〜。

    ・・・・ついてないのちゃうで、これもインスピレーションで感じるのやで・・・・

そして、丁度その頃、大和言葉に出会う。
日本語は一音で意味のある言葉。世界にはない。
音楽も一音で伝わるのではないか?!

ブラックボックス・・・・・音符もブラック・ボックスではないか?!
自分(人間)には、音の種類によって、
もう1つ深いところに直接語りかける「音」があるのではないか?!

自分に起こる現象に「ウソ」は何一つない。
全ての現象を、しっかりと受け止めたら、
自分の行くべき道(セゴヴィアさんからのメッセージ)に入るのでは・・。

   石造りのホールで、あの人が演奏後に、虹人に手渡したギター・・・・・
   そうだ、あの時、確か・・・・一言なにか言っていた・・。
   ・・・・なんだった??   それより、なぜ、しっかりと聞かなかった?

   ・・・・フフフフ、さて、次は、何をするか?                   

   おっと、そろそろ「信頼」の神さんが来る頃やなあ・・・・・

もう一度初めから整理して、自分の「仕事」をハッキリさせよう。


●夢と大和言葉
夜寝てから見る「夢」と、現実の狭間で、しばらくウロウロしていたが、

「そうか、全てを受け入れたら良いのや。」
「夢とか、現実とかに別けるから、ややこしいのや!」
決まると、簡単。

  ・・・・ま、決めたら、たいがいは楽になる。そろそろバトンタッチする時期やな・・・・

  ・・・・ほな今日から、ミーが憑きます。ミーは信頼の神ぢゃ!・・・・

それから数日後。
その頃、音楽のアドバイスを受けに行っていた宮平先生から二本のテープを渡された。

「このテープは僕の宝物や」
・・・・「先生、これは2トラ3パチやないですか!」
 (オープンテープで、2トラックの毎秒38pというでかいテープ)
「そや!宝物や。これを君にあげる」

・・・・「はい・・・・それは、嬉しいんですが、機械がないから、聞けませんわ。」
「そやろなあ。で、ここに、これをダビングした、貴重なカセットテープがある。これもあげる」
・・・・「ああ、これなら聞けます。で、何がはいっているんですか?」
「1951年にムニャムニャがムニャムニャした時の録音や」

「・・・・アリエン!・・・・」
「それと、これは、この前、ムニャムニャが大阪のムニャムニャでムニャムニャした録音や」
「・・・・んなアホな!・・・・」
「重荷やったんや!自分が持っていることが・・・」
・・・・「重荷、って、それは先生の仕事とちゃいますか?」
「いいや、虹人に託すわ。ふ〜〜、これで肩の荷が下りた」
・・・・「あ!いっぺんに肩の荷が増えた・・・・」
「これを録った人は、ギターが好きでもセゴヴィアのことを知っているのでもない」
・・・・「え? ひょっとして、・・・・」
「この人は、なんか知らんが、自分は、これを録らなアカン!という気になったらしい」
・・・・「へえ〜〜〜?」
「で、録ったはエエが、どないしたらエエか、分からない」
・・・・「なんと・・・」
「で、僕の知り合いと話してて、僕がギター弾きやということが分かって、」
・・・・「回り回ってますねえ・・。」
「そやなあ・・・。しかし、や。  これは僕が持つものではない!」
・・・・「え? なんでですか?」
「そういうもんや。これは一時預かりや。そう感じたんや」
・・・・「ハア・・・・!!  え?!  ということは・・」
「そうや! 君な。 虹人さんが持つものや」
・・・・「それって、・・・・エライことやないですか?」
「選ばれたんや!」
えらく信用されたもんやなあ!

   ・・・・そらしゃあないわい、ミーが憑いたのやから・・・・

宮平先生から託されたセゴヴィアさんのコンサート生録音。
1本は1951年大阪フェスティバルでのテデスコのギター協奏曲の隠し録り!
もう1本はセゴヴィア87歳の時の同じ大阪フェスティバル最後列での隠し録り。
そこに録音された音は、虹人にハッキリとした「音」を示した。
・・・・「これがあなたの出す音です!・・・・・」
結論が前にある。

人生で、自分が何になりたいか? はよくある話。
虹人は、どんなギタリストになりたいのか?
ではなく、どんな「音」でギターを弾きたいのか?
その具体的な「音」
言葉としては「芯のある音」とか「太い音」とか「遠達性のある音」・・・・
ま、イロイロある、どうでもいい!

その夜・・・
・・・・・あの人が前に立って、どこかを指し示している。・・・・・・

起きて、すぐに意味を考える。
と、ソルの初級用練習曲が頭に浮かんだ。付点の練習曲。
そして、古事記の精神が自然に感じられる・・・・

   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    時系列で云うと、ビッグバンが起こり、宇宙誕生、銀河、太陽系、
    やがて地球誕生から人類が登場。

    客観的な流れと、スピリチャルの世界は時に相反する。

    人間は時の流れを超えて宇宙を感じることが出来る。
 
    我々の祖先は、上記の時系列を、宇宙の生成と発展に欠くべからざる存在として、
    人間が登場した! そう感じた。

    だから、この際、地球は人間が創造したのだ! そう感じることにした!

    これが、人間の責任!そう感じたのだ。人間の役割の偉大さを古事記では、

   「この漂(タダヨ)える國(クニ)を修(オサ)め理(ツク)り固(カタ)め成(ナ)せ」とある。

   ここで言う國とは宇宙環境! つまり、まだ未完成な宇宙をしっかりと修めて、作って、
   固めて、成せ。

   生成発展させなさい!という宇宙精神が人間に伝えられた! 
   どこかの宗教みたいに、人間は罪を負って生まれた。
   などというブサイクな発想ではない。
   自分が作り上げた宇宙に責任を持って、生きなさい!という哲学。

   また、人間は時を超えて、先人の無念とか、想いというものを、そのまま受け取る力が
   あるのです。

   その力を押し広げていくと、古事記の内容になる。
   この宇宙が誕生し地球が生まれたということの意味を押し広げると、
   実は己がそうさせた!と云うんです。<この地球は実は人間が生ませた>

   過去の出来事は終わったのではない。全てが今に生きている。
   だから、宇宙創世以来の全ての働きが総参加しているのが現時点だ。
   という自覚、人生観が「古事記」に書かれている。

    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  
   あの人が指し示している意味は? ソルの付点は? 古事記と大和言葉  

  !!ナニ!!  虹人がギターの世界を作り出した!  
  そう考えろ!  とでも云うのか!!!

   ・・・・ま、そういうコッチャ、楽しいやろ、虹人・・・・


●ソルと大和言葉
・・・付点・・・
「ん?  今のは?・・・・」
フテンという言葉で目が覚めた。

「ふてん。・・・・付点、・・・・・誰?」

  ・・・・・ソルやで・・・・・

「ソルか?!」

  ・・・・え!  聞こえたんか?  ええ!? ・・・・

「そうか、ソルの付点! ・・・・分かった!」

一人で納得した虹人は、ソルの中級程度の作品から、イ短調の練習曲を取り出した。
ゆっくりと、ゆっくりと、これ以上ゆっくりしたら、単に音のロレツ・・・・慎重に弾き出した。
「これが、ソルの想いか!」

      ・・・・ニッコリ(*^_^*)・・・・

    ・・・・ジリリリリ〜ン! あ、もしもし、ソルさん? 信頼の神です、どおも・・・

    ・・・・あ、信頼の神様。お久しぶりです。今、虹人が・・・・・

    ・・・・そや! 予定よりちょっとだけ早い!・・・・

    ・・・・私の「付点」に対する想いが伝わりました!・・・・

先人の想いが伝わる! 時空を超えて・・・・
ところで、「作者の意図」という言葉を使う人がいる。あれは勘違い。
意図は目的がある。何かの効果を期待したり、こんな演奏をしてほしい、という期待がある。
「想い」は、誰に何かを期待するのでもなく、自分だけの内なる気持ち。

「オ」は偉大とか重要。「モ」は微細なものの集まり。「イ」は生命とか活動、強さ。
つまり、微細だが重要なものが集まって活動する様。
音楽で云えば、重要な音が集まって、それらが活動(生命が宿る)している様。
三次元の音が二次元上の紙の上に、記号化されて書かれてある音符。
その音符の上に・・・・しかも印刷された音符に、はたして作曲家の「想い」が入っているのか?

「やっぱり、自分で書くべきや!」
「たかが楽譜や、書いたところで、しれとる・・・」
虹人は、楽譜を書くのが好きだ。
だが、今までは、間違いを書き直すのがめんどうなので、書いていた。が・・・・・

「そうや、せっかく書くのや、綺麗に書いてみよう」
そう思った時、テレビで、古文書の解読をやっている人が話していた。

  「昔の文字がどうして解かるのですか?」
  「何回も、何回も、何回も、なぞるんです」
  「なぞる・・・・」
  「すると、ある時、フッと想いが伝わってくるんです!」
  「ほ〜〜、そういうもんですか?」
  「それしかないんです。それしか解かる方法がないんです」

やっぱりな! 楽譜の音も一緒や。なぞるんや。なぞっているだけなんや。
なぞるとき、先人の「想い」を受ける準備が要る。
それが「音」や!  宇宙と結ぶ「音」や!    カッコイイ!

   ・・・・ま、そういうことや!  ごくアタリマエの話やわなあ・・・・

「音」そのものは大事には違いない。が、今はどうやら、一時的に「音」から離れて・・・・
画家が描いている絵から、少し離れて全体を見るように、「音」から離れてみることにした。
「なぞってみよう。楽譜を自分流に美しく書いてみよう」

「書く」ということが不自由な時代なら、早口ではしゃべらないはずだ。
時代劇で、早口でしゃべると、なにか不自然に感じる。間違いなく相手に伝えるためには、
あの時代の速度がある!
音楽だって同じだ。

    思考がグルグル回り出す。よし、決めた。 「タッチ」は一旦休憩!

虹人は、ソルの練習曲を手始めに、3曲を選んで練習を開始する。
付点は消音を頻繁にする。
和音の連続は、次の音の準備に意識を向ける。
そして、ベースの音、右手の親指の音に意識を向ける。
この3つのことを基礎練習として、自分流の、仮の「型」を決めた。
   (この練習は、島崎陶人メソッドの基礎練習として、復活します)


●フーガと大和言葉
基礎練習という言葉は誰でも普通に使う。 
その内容を検証することなく、普通に使う。

その頃、虹人はスラーの練習が一日の始まりだった。
スラー、スケール、アルペジオ。
これが基礎練習の3本柱。これを疑ったことはない。今もそれは変わらない。
「確かに、テクニックという意味での基礎は、この3つが重要であることは間違いない、しかし・・・」

今の虹人のレベルでは、まだやり残している
・・音楽表現の基礎練習・・があるのではないか?!
「楽譜を読む練習」は、いかに早く読めるか! が課題であって、
その内容を吟味することは入ってない・・。
これは、芸術ではなく、職業音楽家としての訓練。
ある時期、必要であることは認める。
虹人の演奏スタイルは、あのセゴヴィアの映画を見て以来、

「次の音を準備する。意識の中の半分は消音に向ける」
これを加えた結果「音は切って弾く」ことが絶対的な条件となった。

夢で聞いた、ソルの「・・・・付点・・・・」
という言葉は無視できない。

音は切る。それは基本や、次にレガートは? 

  ・・・・「音を伸ばす」なんてアホな答えは虹人、しないでよ・・・・

「そうか! そういう意味か!」 何かが閃いた。

「これもブラック・ボックスやった!」
「完全に騙されていた。教育とかレッスンという言葉の後ろで、
ウソばっかりが横行している!プンプンや!」

前回、基礎練習に「ソルの3つの小品」を加え、しかも、その第一番目に、
付点の練習を持ってきた。
それは、本来の「レガート」感覚を植え付ける。 
言葉なら、日本人だから日本語をしゃべる、が、言葉の本当の意味は? 

大和言葉を勉強して、世界でただ1つ、「一音に意味がある」ことを知った虹人は
「日本語と音楽の共通点が解決の鍵になる!」と直感した。

ならば、バッハのフーガを、なぞってみよう!
虹人は、数あるクラシックの名曲の中で、
BWV1001のフーガが、その頂点にある曲だと思っている。

かっこよく弾くのではない。
「なぞる」のだ。
一日の始まりは「フーガ」をなぞる。そう決めた。
さっそく、楽譜を書き始める。

   ・・・・そうそう、そうやって楽譜を書くだけでも、
     その曲が、人間が書いたのではないことが解かるはずぢゃ。・・・・

1週間かけて楽譜が完成した。「美しい!」
楽譜の姿が美しい。「絵」になっている!
こんなに「美しい姿の楽譜!」見たことない。
世に出ている楽譜は?
「なんと不細工な姿や! 意味のない音符が並んでいるだけや!  なぜ?」

印刷された楽譜が、不細工で不気味で、・・・・モーレツな嫌悪感に襲われた。

「オ」は偉大、重要。「ト」は閉鎖、閉じること。
大和言葉で「オト」は重要なことが閉じ込められている、こと・・・・。

楽譜は一枚の絵にすべきや!  そう感じた。 
しかし、この時点では、それより先にフーガを「音」にしたかった。
その感情が勝ってしまった。
もし、この時、楽譜を絵にすることから手掛けていたら・・・・

空から、何かが落ちてくる・・・・
あれは? 音符? 音?  五線紙の上に、フワフワと舞い降りて・・・・
虹人はトイレで空想の世界を漂っていた、すると・・

テレビから、まるで、虹人の頭の風景が「音」になったようなヴァイオリンの「音」が聞こえる??・・・・
「ん?  誰や? 今のヴァイオリン??!!」
トイレの中から加代に聞く・・・
「え? 映画の中で弾いてるよ。」
「映画?」
「記憶を失ったヴァイオリニストが、絵のモデルになって・・・」
「素晴らしい! そんなフーガ聞いたこと無い。」

絵のモデルだから、じっとしている。
が、じっとしてられなくて、持っているヴァイオリンを弾き始める。
ゆっくり、ゆっくり、・・・・ミ・・・・ミ・・・・ミ・・・・ミ・・・・レ・・・・ド・・・・レ・・・・

「ラベンダーの咲く庭で」という映画のひと場面がテレビで流れていた。
音は切れ切れに、雪がチラホラと舞い降りるように、たよりなげに奏でられる。しかし、
耳ではなく、心に染み込むように、静かに、一音、一音、入って来る!
一音、一音、なぞってみよう! そこから始めよう。

ソルの作品から、付点の練習 (優しくレガート表現・・・・消音を意識する練習)
    和音の連続 (音の準備を完璧にする・・・
    次の音が解かってから、今ある音を弾く練習)
    ベースの音に意識を持って行く (右手親指の縦振動)

    さらに、それらを全て意識して弾く小品を加えて、4曲。
    そして、バッハのフーガを加える。 
    これら5曲を基礎練習にして、虹人の朝は始まる。


●付点、間、ベース
「フーガの楽譜」自体が絵になっている。しかも、美しい!
「書き直そ!」
「ただ写すだけでなく、音を頭の中で作りながら、もう一度書き直す」
「同じなら、3〜40ページかけて書いたら・・」
連続テレビ小説みたいに、1週間で1枚を1年かけて見る! 弾く! 覚える!

最初の1ページには、大きな音符が9つあるだけ! の楽譜・・・・
1ケ月程かけて書いた楽譜は、楽譜の常識を超えていた!
試しに、中学生に見せる。

「弾いてみるか?」
「ん?!1ページに9つしか音ない!?」
「弾けそうやろ?」
「今すぐ弾ける・・」
「ほな、来週までに・・・・ま2ページやっとき」
「ええ! もっと出来る」
「まあ、無理せんと、ゆっくりやろ」
「分かった・・」

この生徒さん、1ケ月後の発表会で、このフーガを暗譜で演奏した!。

そして、この書き方が63歳の12月31日まで続く。

   ・・・・ここまで自由に楽譜が書けるんなら、もう少し、ほんの少しだけ工夫すれば・・・・

   もっとも、その「ほんのちょっと」が難しいのやが・・・・

32ページに細分化されたフーガの楽譜を見ているうちに・・・・・
「??何かがオカシイ・・・・この楽譜に書かれてある音符・・・・なんやろ??・・・」
我々は3次元に住んでいる。と教えられている・・・・・本当か?

大和言葉で解釈する「古事記」に、
・・・・今は過去の集大成・・・・・みたいなことが書いてあった。
過去、現代、未来、・・・・・・時間の流れ・・・・・あれ。
アレ・・・・なんでや?
確か、3次元に時間を加えると4次元になる・・・・とか云うわな?・・・・
時間があるやないか!
ちゃんと時間が入っているやないか、
ということは、我々はひょっとして4次元に住んでいるんとちゃうん?!

頭がチンチラポッポになってきたので、散歩することに・・・・

線だけなら1次元。
その線が面をグルグル回っていたら・・・・・線の上にいて「面」を感じられるのではないか?

面が重なって(経験を積んで)ドンドン重なっていくと、「立体を感じられる」のでは??

空間を感じられる、時間の流れがある空間(つまり、今ある空間)に生きているということは、
過去の集大成である「今」に生きているなら・・・・・それは、四次元!

ますます頭がクラクラしてくる・・・・・・。
ひょっとしたら、我々は3次元に生きている!と教え込まれているのではないか?!
本当は?   
本当は、四次元に住んでいる・・・・・・・・。
そう考えると・・・・・・・・・。

    ・・・・あちゃあ、時空の神さんが戻ってきたがな・・・・もう、そんな時期か?

   ・・・・どおも・・。お待たせ! わてが、時空の紙・・・・違った、神だす。・・・・・

   ・・・・相変わらずやなあ、時空はん・・・・

   ・・・・虹人には大事な任務があるから、少し「早送り」させなあかんのだす・・・・

   ・・・・そうですか、ほな・・・・あれ?ミーは次、どこ行くんやったかいなあ??・・・

   ・・・・どこにも行かんでよろしい。これから、しばらくは二柱だす・・・・

信頼の神と、時空の神、この二柱の神に見守られて、虹人の感覚は、異次元をさ迷うことに・・・・


小高い丘の上に、頼りなく建っている小屋。
その小屋から少し離れたところにポツンと「郵便受け」がある。
まるで、アルプスの少女みたいな小娘が、その郵便受けの下で、
いつ来るか分からない郵便を待っている。
もう、何年もその姿で・・・・・。

スッキリと目が覚めた。
夢の世界?  いや、違う。  
確かにある世界や。 

人間が空想出来るのは、経験があるからや。
今、見た「夢」は、絵本の世界かも知れない。 
あるいは、テレビの中かもしれない。
でも、・・・・「夢の世界」は存在する。それも、宇宙とつながっている・・・。

唐突に、
「やっぱり付点や。」
付点の概念が間違っている。音楽教育は全て間違いや!

「マ」は大和言葉で真理を意味する。
「ア」はスタート。「アマ」は真理が始まるという意味。
日本人の祖先は、この宇宙を「アマ」と呼んだ! 真理が始まるところ!!!

音楽においても「間」は重要な要素。
「間」の時に、次の音の準備を完了させる。
「付点」と「間」や。

そして、ベース。右手の親指・・・・
これが、本来の音楽の3要素や!

旋律、和音、リズムが音楽の3要素?  ウソや!誰や、こんなウソを一般常識に仕立てたんは・・・。
付点、間、ベース、これに決めた!

あまりに、世間とかけ離れた感覚におそわれた虹人は、
これより62歳まで一人で格闘することになる。

その間のことは、また機会を見てお話することとし、物語は一気に飛んでしまう。

虹人、62歳。2週間後に、兵庫県立芸術文化センター・小ホールにてリサイタルをする。

今日は、
「さて、アンコールがあったら、何弾くべえ??」
お気楽なことを考えていると・・・・・
手が勝手にチャイコフスキーのマズルカに・・・・・・・


●マズルカ
チャイコフスキーのマズルカは、たぶんピアノの世界では子供が弾く曲だろう・・・・たぶん。
それは、ともかく・・・・このマズルカが頭から離れなくなった。
それも、出だしの3つの音。たった3つ・・・・・
「なんで、この単音、しかも付点が弾けないのや?」

   ・・・・動きが1つ足らんのやで・・・・・

「なにかが抜けているのか?」

   ・・・・音と音の間にある「動き」が抜けてる・・・・

「なにか? この間が問題やな・・・・・」

   ・・・・クイッ! クイッ!・・・・・

「少し、遅れ気味に弾いたら・・・・違う、意図的すぎる。   
 ん〜〜っと、こんな時は・・・・」

   ・・・・クイッ! クイッ! っと・・・・

「新しい動きを入れてみるか・・・」

   ・・・・ん?!・・・・

「始めから、しっかり押さえると、右手だけでタイミングを取らなアカン・・・

 左手でタイミングをとるとなると・・」

「・・・・・出来た! 突然出来た! アレレ??」

   ・・・・押さえるだけが左手やないわなあ・・

「なんや、この動きは、オモロイやないか、クイッ! クイッ! っと・・・」

   ・・・・やれやれ、やっと聞こえたか!  

「この動きは?!  オモロイ! 」

コンサートを2週間後に控えた、その日・・・・・
左指でフレットを押さえる際、手首をちょっと回転させながら押さえる、名づけて「クイッ!」
「あれ? これは・・・・毎回押さえてる・・・・」

  ギターは左指の形が同じ時は、押さえたままで、右手だけを動かすのが普通。
  今回、虹人が発見した「クイッ!」は、
  同じ形であっても、毎回、離しては押さえ、離しては押さえ・・・・    
  を繰り返す動作だった。ピアノの世界では、あまりに普通のこと。

「ヤバイ!」 「非常にヤバイ!」 「アカン!アカン!」「無理、無理、・・」

どうした訳か、全く弾けない。弾けないというより、出てこない! 
音をスッキリ忘れてしまう。
この「クイッ」を使う度に、頭が真っ白になる! どういうコッチャ?

「クイッ」を使うべきか、使わざるべきか、それが問題であ〜〜る。  
なんて云ってられないがな。
「楽譜を見よう!」それしかない。
「コンサート用の楽譜を書こ!」
「あと2週間か、全部書こ。決めた!  よ〜〜い、スタート」

それから1週間、ひたすら書いた、楽譜も書いたが、楽譜の中に
「クイッ、クイッ・・・」も、いっぱい書いた。

   ・・・・ほうほう、ここにきて、符点のことが実際の演奏に反映されてきたなあ・・・・。

   ・・・・そうやなあ、今までは、理屈ばっかりで、演奏が伴ってなかったからなあ・・・        
   ・・・・確かに、エエとこまで行ってるのに、あと、ちょっと!がなあ・・・・       
   ・・・・ま、クイッ!を会得すれば、次々と解決するやろ・・・・

  今や、4柱の神様が憑いている虹人であります。

   時空、音域、調和、信頼の神様たち・・・・・。


  しばらく、この神さんたちの話を聞いてみよう・・・

  ・・・・ところで、あの「墨壺」と「音」の関係には、いつ気がつくんです?

  ・・・・来年の12月12日ですなあ・・・

  ・・・・ピカソの話にあった、「ジ〜〜〜〜ット見る」と付点は?

  ・・・・ああ、それはこのコンサートの・・・・確か、演奏中ですな・・・・

  ・・・・高校生のころ、確か、友達とティンパニーの3連符で盛り上がってたが・・・・

  ・・・・三連符も付点も、クイッで解決や!・・・・

  ・・・・ところで、調和の神さん、基礎練習やが、そろそろ音楽の基礎に変わる頃ちゃうん?・・

  ・・・・音域の神さん、それは虹人が初めてセゴヴィア君の初級用のレコードが出た時に
  試みたんやが、やっぱり「揺らぎ」が必要やったんで、延ばしてますねん・・・・

  ・・・そういえば、セゴヴィア君は音楽の女神さんが憑いてたから、
  テクニックだけ練習すれば十分やったなあ・・・・
  虹人は、自力で「音楽」を会得せなアカンからなあ・・・・で、いつ気が付くんです?

  ・・・・それが、2013年の6月ですねん・・・・        

  ・・・・で、巨匠になるんは? 

  ・・・・さすがに今回は無理です。   

  ・・・・やっぱり! 次回のお楽しみ・・・・
 
  ・・・・ところで、7月にちょっとした試練を作りましたんや・・・・

  ・・・・これが、他の音楽家なら、超簡単なことなのやが・・・・

  ・・・・あ〜、はいはい、アレね。クククク・・・・

  ・・・・笑いなはんな、信頼の神はん。 虹人には、結構堪えまっせ・・・・

  ・・・・あ、そろそろコンサート始まるようや・・・・聞きまひょか・・・・ 


ここは、西宮にあるコンサート会場。
開演前に心を静めて、控えている虹人。
「では、開演します!」
会場係の人が、静かにドアを開けた・・・・・。


●神様の計画・・・・2
虹人は「音」にウルサイ! だから、ステージでの弾く場所にはウルサイ!
そこがコンサート会場で、「ここが演奏するポイント」と云われても、信用しない。
全て、自分の責任で自分で決める。
今日の会場は、指定された場所ではギターは鳴らない。
かなり後ろ。後ろにある壁に近い程、鳴る。

見た目も無視できないので、限界線を決める。
リハーサルでは、その全てを「音」の状態に使う。
場所が決まると、歩く、礼をする、退場、の確認。
途中で少しだけ「おしゃべり」があるので、しゃべる位置を決める。

今回初めて楽譜を見て弾くので、譜面立ての位置、高さ、角度を違和感のないよう調節。
後は、控室で加代と一緒に雑談、開演30分前になると、バナナとおにぎりを食べる。
そして、爪を磨く。 トイレに行く。 

「なかなかカッコイイよ!」
ウソでも、これが一番効く言葉。
そして、いよいよ本番直前。
「では、本ベル行きます!」
ブ〜〜〜〜。  
客席の明かりが少しづつ暗くなり、演奏場所に明かりが・・・・。

「では、いきます。」
「お願いします。」
拍手に迎えられて、ステージへ・・・・・コツコツコツ・・・・

オープニング曲は、アストリアス。弾き慣れた曲。
でも、・・・・・今から弾くアストリアスは、生まれて初めて弾く!
楽譜上には、いっぱいqui,quiと書いてある。
左指を押さえる時は、手首をクイッと回すようにして押さえる。

どんな音が出ているのか・・、解からない・・・・。
とにかく、クイッ、クイッ、と手首を回す。
クイッを意識すると、次の音が・・?・・楽譜から目を離せない・・
なのに、余裕がある?? あれれ、時間がゆっくりと流れている。
次の音が・・?・・になっても、あせらない。  ・・・・ま、いいか!?・・・・ 「よくない!」

2曲目は、バッハのガヴォット。これも弾きなれた曲。だが、楽譜から目は離せない! 
もう、すでに喉がカラカラ・・・・
アレレ?・・ 練習で見ていた景色と何かが違っている・・??・・「なんやろ?」

本番で、楽譜を前にして弾くのは・・・・初めて!
「楽譜の顔がいつもと違う?! 視野が広い! なんやコレは?」

ステージでは何がなんだかわからない内に、演奏が終わっている・・・・ということがよくある。
虹人は今までに経験したことのない感覚が身体中を駆け巡っている。

「さて、次に主題が出てきた時は、テンポを揺らして遊んでみよう、
ならば、今は力強く少し遅いテンポで堂々と弾いてみよう!」一瞬で、計画完了!
楽譜上では4段程の部分、時間にすると1分程度の長さが、まるで景色のように
目の前に現れる!
「これは?ナンジャア??」

音は一瞬で全てが出る訳ではない。時間の経過と共に出る。アタリマエ・・・・
が、今日のステージは、まるで時間が凝縮して・・・・
過去の出来事が思い出される、みたいな・・・・
今まで味わったことのない感覚に包まれている。

2曲演奏して、一旦ステージから舞台裏に引っ込む。
水を飲んで、もう一度気を落ち着かせる。
「なかなか、エエ感じやよ!」
加代が、ポン!と肩を叩いて送り出してくれる。

次はトローバから始まる。
小品3曲をストーリー仕立てで組曲風に弾く。
quiを使いだしてから、毎日姿が変わっている曲、
さて・・・・いったい今からどんな姿を見せてくれるのか? 
演奏者が一番楽しみにしている!
・・・・「音」が要る! あの「音」がないと肝心の表現が出来ない!・・・・

次はソルの5つの作品。今回の目玉曲!
quiが最も活きている。quiがなければ、中級の練習曲止まり。
コンサート会場で、どう変身するのか! 
・・・・やはり、ソルは演奏会で活き活きする曲を書いていた。

練習の為の曲ではない。
大勢の聴衆にギターの世界を味わってもらえる素晴らしい作品を残した。

1部最後は「魔笛」
・・・・ゆっくり弾ける! 1つ1つの音が自分にも聞こえ始めた! 初めての経験!

quiは虹人の人前演奏時にも、一大変化をもたらした。
1部が終わり、控室で加代が、
「いつもと随分違う! 初めて聞く曲みたいに聞こえる!」
「そうか・・弾いてる本人も、どの曲も新鮮に感じる」
「会場では、どういう風に聞こえているやろね?」
「2部が楽しみやなあ・・」

   ・・・・ま、今回はこんなもんやろ?・・・

   ・・・・そやな、次のステップは?・・・・

   ・・・・とりあえず、今のレベルを本人に教えてからやな・・

   ・・・・あの人に頼みますか?・・・・

   ・・・・それが一番早いやろ!・・・・

   ・・・・それが終わったら、いよいよ「揺らぎ」ですか?・・・・

   ・・・・その前に、会わせておく人物の用意は?・・・・

   ・・・・はいはい、高知に用意してます。

4柱の神さんの計画通り、虹人の人生は、まるで汽車の旅でもしているかのごとく、
目的地に向かって幾分速度を増して走り続ける。


●ソルからのメッセージ・・・・2
今、パソコンでの通信はごく日常的です。
こういう時代が来る!と、40年前に想像出来たでしょうか?
もし、その時代に「40年後は世界中の人と自由に情報伝達出来るのや!」
と云えば、「はいはい、分かったから、しっかり働いてね・・・。アホ!」

いやいや、それより、歩きながら電話出来る。
各家庭に1台コンピューターがあるのや。
百科事典を世界の人々で自由に作るんや!なんて発言したら、
「分かったから、ジッとしててね、動かないでよ・・・・・・・」
で、しばらくすると、ピ〜ポ〜ピ〜ポ〜・・・・・

人間はコンピューターというエライ物を作りました。
同じように・・・・神も、人間という素晴らしい生き物を作ったのです。
コンピューターが世界中の人と繋がっているなら、
神が作った「人間」が繋がっていない訳がない!

言葉のいらない音楽で人と人が「結ばれる」のはなにも不思議ではありませんし、
人類はそれに気が付き始めています。
さて、その「音楽」に使う「音」に、隠された秘密がある!と言ったら・・・・・

50年後には、日常的な話になっています。
ただ、今は2013年。 
ここで、物語は、ほんの一瞬だけ2064年にワープします。

虹人は・・・・はい、死んでいます。でも、虹人の残したギターメソッドは世界中で使われています。
ここは、名もない国(って、そんなアホな)の、名もない街(あちゃああ・・)
名もない人(はいはい・・)がギターを弾いている。モチロン名もない曲(・・ウ〜〜ム!)

名もない人達が輪になって聞いています。   
その「音」を聞くことで、誰もが、まるで「楽園」にいるような気持ちになるのです。
弾き終わっても、拍手はありません。
それは、そこに参加している人達全ての力が生みだした「夢」の空間だからです。
拍手などすると「夢」が覚めてしまいます。

名もないギター弾きが云いました。
「このギターサウンドは、楽園サウンドと云います。」
「本当に楽園にいるみたいでした。」
「そうでしょう? これを発見したのは、エンドレス・太陽という方で、
  この太陽さんは、虹人という日本のギタリストに学びました。」
「虹人という名前聞いたことあります。たしか、ミカンとお酒で育毛剤を作った人でしょう?」
「ええ?! 知らんなあ、ギタリストですよ。」
「ワタシ、シッテマス。クイッ!ヲ、ハッケンシタヒトデ〜ス。
ソノゴ、・・タシカ、ユラギサウンド、ミツケマシタネ」
「おお!よくご存じですね。」
「ハイ、ナンデモシッテマス。ソシテ、ニジヒトさんは、タシカ
・・・・コウツト・・・・アレハ・・・・ナンヤッタカイナア・・・・・・」
「そこで寝ないように!」
「ワカッテマ〜ス、ソヤソヤ・・・2016年の9月に#$%%’&?!ヲ、
ハッケンシテ世界中を幸せにしました。」
「え??途中、少し分かりにくいところが・・・・・・」
「コノブブンはお金が要りまんねん・・・。」

虹人が名もない国でコンサートをした時。
会場に来ていた一人の若者「エンドレス太陽」君は、演奏が終わると、
虹人からのメッセージを直接心で受けます。
「この揺らぎサウンドから、夢の音<楽園サウンド>を見つけよ!」
そして、太陽君は、旋律も和音も要らない、ただただ「音」を出すだけで「音楽」になる!
そんな「音」を発見したのです。
そんな「音」だから、コンサート会場に行く必要などありません。
場所はどこでもよかった。ただ、ギターと人がいれば、そこが会場。
そして、参加している人の「気」を少しだけ出せばよい。(お金ではない・・。)
「今から60年以上前に、虹人というギタリストが、今我々が体験しているような<楽園サウンド>
という夢のような音があるんだ! と云ったら、大笑いされたそうな・・・。」
「へ〜〜〜?? みんなアホやったんですか?」
「違う、違う、信じられなかっただけ。それは、いつの時代も同じだよ。」
「それじゃあ、今は誰でもテレパシーで会話できるから、ウソがつけない!ってのは?」
「あははは、その時代はね、<言葉はウソを云うための道具!>だったんだよ」
「ええ?!  じゃあ、警察とか、法律みたいなものは、ヤッパリ本当にあったんですね?」
「そう、政治家(せいじか)という意味不明な職業があってね・・・・・
おや、そろそろ夕食の時間だ・・・またね。」

これは2064年のお話・・・・

さて、現代に戻ろう・・・。

人間が作ったコンピューター。神が作った人間。
神様が人間を作った時、ちょっとした宝物を人間の心の一番奥に隠した。
それは、全ての人間(過去も未来も、存在する全ての人間!)が1つに繋がっている「糸」
この「糸」はコンピューターなら、線にあたる。この糸は全ての人間とつながっている。

  ・・・・実際は、動物、植物、いやいや、この宇宙の全てとつながっている!・・・・
ただ・・・・・パスワードに似た「鍵」を見つけないと繋がらない!
繋がらないが、時々勝手に繋がることがある。
ある試練をクリア〜する度に、自動的にフッとつながる。
「夢」でつながることもある。

ある時、突然「7と10」が虹人の頭に浮かだ。
しかも、これは、セゴヴィアさんからのメッセージだと、すぐに気が付いた。
気が付いた瞬間、「バッハのシャコンヌや!シャコンヌの7番目と10番目の音を
ピアニッシモにするのや!」
と解かった。これが、その「糸」がつながった瞬間。
少し、考えると・・・・・・7と10   だけでは、いくらポアロでもそこまでは解からない。
では、なぜ・・・・虹人には解かったのか?
それは「音」をデッサンする術を知っていたから・・。

画家はデッサンをする。物を注意して見る練習だ。ジ〜〜っと見る練習。
じ〜〜〜〜っと見ていると、一瞬本質が見える。
同じように、音をジ〜〜〜〜ッと、聞いていると、(本当は頭の中で聞くのだが・・)
本質が聞こえるのだ。
その練習が、基礎練習でなくてはならない。

テクニックが要る。確かに要る。あるレベルにならないと、聞こえない。それも事実。
でも、なにもなくても・・・・楽器を演奏出来なくても、自分で音を出せなくても、
聞こえる時は聞こえる。
その瞬間を聞き逃しているだけ。

いつの頃からか「音楽」を本来の意味を知らないで、
金儲けの手段にしたり、売名のための道具に使うケシカラン者が出た。
パソコンなら、ウイルスみたいなものだ。
そして、そのウイルスに冒された多くの人々が、「錯覚」をした。
「音楽」を「音の高さを知っている者が・・・・聞いて解かる者が素晴らしい!」
に置き換えたのだ!!
本来は人を、周りを「幸せにする音で満たす」のが「音楽だった」

不愉快な音で演奏する人間が、飛躍的に増えた!!
不愉快でも、音の高さが合っていれば良い。
早く演奏できれば「スゴイ」とプログラムが書きかえられた!
ある意味、虹人に与えられた試練は、
この書きかえられたプログラムを元に戻す装置を開発することだ。

ウイルスにかかりにくい人間もたくさんいた。
単純な人間だ。そうそう、女性はかかりにくい!
神様は女性には特別なセキュリティーを設けている。子供を生むからだ。
だから、気がつくのは女性の方が早い。
早いが、そのセキュリティーの為に、大事な機能が1つ抜けた。
だから、男性と女性が1つになることで、お互いの機能を発揮出来る。
夫婦になることで自然に補うことが出来るようプログラムされている。

この機能は脳と似ている。右脳と左脳。手も同じ、右手と左手。
楽器も実は、この作用によるのだ。
ピアノは両手で弾く。合理的なようだが、かなり強引ともいえる。
しかし、人はこの楽器の利点を上手く使う術を知った。
弦楽器、これは右手と左手の協力がないと成り立たない。
この点が大切で、音を選ぶ左手。音を出す右手。この関係は、男性と女性の関係と同じ。
左手は女性。右手は男性・・・・・これがヒント。

楽譜を見て、qui quiを使う(左手の動きを入れる・・・・女性的な感覚を音に注入する)ことで、
フェルナンド・ソルからのメッセージが多く来るようになった。

   ・・・・時空の神さん、ソルの想いが入った箱がありましたなあ?・・・・
 
   ・・・・いつも持ってますよ。この黒い箱です・・・・
 
   ・・・・確か、この箱で、頭をポンと叩くと・・・・

   ・・・・そうそう、おみくじみたいに、一言虹人の頭に届くんです・・・・

   ・・・・オモシロイなあ!  1回見せてくださいな・・・・

   ・・・・ほな、叩きまっせ、  ひの、ふの、み〜〜! ポコ!


「付点や!」  
「え?  誰? ええ?  なに???  フテン?   そおか! 解かった!」

付点については、コンサート前にも来た。しかし、前は、もっと深いところから来た。
そして、quiを発見した。今回は、付点がquiで解決したはず・・・・なのに、また来た。
この意味は? 

   ・・・・音域の神さん、宇宙の神秘の1つですなあ! この付点!・・・・

   ・・・・そうです。全知全能の神は、オモシロイことします・・・・

   ・・・・人間は+と−だけでコンピューターを発明した・・・・

   ・・・・まさか、神が付点と・・・・おっと、虹人、気がついたようですね・・・・・


●ナナと間奏曲
むか〜し、むかしのことぢゃった、
あるところ〜に、おじいさんとおばあさんがおりました。

これは、語呂が良い。誰が考えたのか? 素晴らしい! 
これだけでお話の世界へ、すっと入れる。 ところで、
始めから年取った老婆がおるはずもなかろう!
が、なぜか・・・・昔話に出てくる、おじいさんとおばあさんは・・・・・
始めから年寄りやった!みたいな感じに思えるのは、私一人か?

娘が東京で3年程働いていた。その頃、娘に会いに行ったことがある。
二人で浅草寺へ出掛けていった。
神妙な顔で、神さんになにやら頼みごとをしている父を見て、
「父!100円で、なに長いこと頼んでるん?」
「アホ、頼みごとを人に言うたらアカンのや。秘密や!」
「へ〜〜、そんなもんか」
「そうや、そやけど、娘が教えて欲しいというなら別や」
「別に教えてほしないで」
「あのなあ・・。会いたいねん」
「イヤ・・・・教えていらんし・・・」
「父と同じようにギターと取り組んでいる奴が、この地球に必ずもう一人いるのや」
「だから、云わんでもええって・・」
「そいつと会って、思いっきり話たいし、お互いのギターを称えたいのや・・・・」
「ああ、そうですか」
「どや?」
「腹減ったなあ〜〜」
「ウム、名物にうまいもんなし! ちゅうけど、ま、そこらへんの店に入るか・・」

心温まる親子の会話をしながら、夜の街へ消えて行った・・・・!

その娘が、幼稚園に行き出した頃、虹人は毎晩「お話」をした。
その「お話」を聞きながら、すぐに寝るのが常。
だいたいが、「む、か、あ〜〜〜〜し、む、か、し、の・・・・こと、ぢゃったあ〜〜〜〜」

これで、目がトロ〜〜ン・・

「あ〜る、と、こ、ろ、お、に・・・・おばあ〜〜さんと・・・・お、じい、・・・・さんが・・・・・」
ぐらいで、目は閉じている!
ま、たいがいは、「どんぶらこ〜〜〜〜、どんぶらこ〜〜〜〜」を繰り返していると寝る!
遊び疲れているので、楽勝!!

ある時、昼寝をするというので、
「では、父が子守唄を弾いてあげよう・・」
ナナと間奏曲という子守唄を心を込めて弾き出した・・・・
しばらくすると、娘の泣き声が・・・・
「どぎゃんしたとです?」
「うるさくて、眠れないよ〜〜〜〜!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

これがトラウマとなって、以後、弾く機会がなくなった・・・・・。が、
この「ナナと間奏曲」が、後に虹人と高知のギター愛好家、
西岡さんとの運命的な出会いを演出する。

土佐といえば、坂本竜馬。桂浜にある竜馬の像の前に、一人の建築家、西岡氏が立っている。
「音は切るのや! なんで、こんなことが解からんのや!」
ギターの上手いギタリストはたくさんいる。それは認める。が、
「音楽は、上手いとか、美しい・・・・そんなもんとは違うき!」
西岡氏は、時々、この桂浜に来て、竜馬に独り言を言う。
「そや、ナナと間奏曲を、音切って弾いたろ」
ナナは子守唄、当然レガ〜〜〜〜トに弾く。
レガ〜トに弾くには、音を切ってはいけない! これが常識! 
だが、西岡氏は、それに反論する。
「そや、楽譜を探してみよ、持ってるけど・・」
楽譜は持っていた、が、なぜか、パソコンの前に座ると、ナナの楽譜を検索する・・
「・・・フン、フン、・・・・ん? これはなんぢゃ?・・・・変な楽譜やなあ・・・・に、じ、ひ、と・・?
聞いたことないギタリストや。・・・・・ユーチューブに演奏がアップされている・・。フンフン・・・・」

初めて見る、変な楽譜(楽しい楽譜)、そして、ウェブ・レッスンをしている虹人に出会う。
「なになに、縦振動、アルペジオの型〜〜〜!、オモロイ事言うてるなあ、正論や!」

音楽を、自分と同じように感じているギタリストが画面にいる?!
なにか不思議な感じがする、一瞬だが身体が浮いたように感じた。
「連絡せな、連絡して会わなあかんき!」

その頃、虹人は、ピアニスト、一ノ瀬夏美さんとのコラボ。
題して「ちょっと贅沢なコンサート」全4回を企画、実行中。
もうすぐ、3回目のコンサート。
今日は、夏美さんに朗読をお願いして「プラテ〜ロと私」の練習中。
ここは、夏美さんの家の練習部屋。
自宅のスタインウエイの前で、時々ピアノで<音出し>しながら、虹人と練習している。

「あら〜〜、これ日本音階使ってる!」
「ホンマや。ギターで弾いても、気が付かなかったのに・・。」
・・・・二人が音楽の話を始めると4時間ぐらいは、一瞬で過ぎる。

   ・・・・夏美さんとのコラボは、エエ勉強になってるなあ・・・

   ・・・・これが終わったら、いよいよ・・・・やなあ〜・・・


●音の本質とは?
テデスコの「プラテーロと私」より。春を練習中に、
ピアノで音を出すと、旋律よりも、「日本音階」であることの方が全面に出る。
ギターで音を出すと、日本音階を使っていることすら解からない。
これは・・・・・どういうこっちゃ??

楽器の持つ根本的な違いかも知れない。
一ノ瀬夏美さんと虹人は、このことで、かなり盛り上がってしまった。
そして、「練習する」というアタリマエの言葉について話が進む。

「何を練習するんです?」
「究極の問題ですね。」
「一人で演奏していて、時々・・・・今のは!  
 なんて素晴らしい! ということあるでしょう?」
「ありますよ、たぶん自己満足でしょうが、でもあります。」
「それを、思い出そうとしたら・・」
「全く別のものになる!」
「考えると、練習って、自分が自分にダメ出し、しているみたいでしょう?」
「もっと上のレベルから自分をみないと出せない」
「私は、夢にセゴヴィアさんが出てきてくれるんです」
「それは、最高ですね!」
「あと、どこから来るのか解からないんですが、メッセージが届きます」
「虹人さんの得意分野ですね」
「はい、このプラテーロにも<17>というメッセージが届いています。」
「17・・・・・それだけですか?」
「はい、それで十分です」
「え? その意味は?」
「本当は内緒ですが、夏美さんには教えます。17フレットという意味です」
「なるほど!」
「17フレットの音が鍵を握っています」
「解決したのですか?」
「まだです」
「楽しみが、・・・・練習の目標がある訳ですね」
「はい、ギターは12フレットまでの音と12フレットから上。
 さらに17フレットから上と種類が変わるのです」
「楽器と同じですね。」
「そうです、フルートとピッコロ。ヴァイオリンとビオラみたいな・・」
「12フレットは、弦のちょうど半分ですね?」
「そう、17フレットは八分の三」
「中途半端ですねえ!」
「はい・・・。19フレットなら三分の一で区切りとしては良いのですが・・・」
「でも、17フレットなんですね」
「たぶんですが、弾き方が、弦長によって、というか、弦長の割合によって変わるんだと思うんです」
「それは当然でしょうね」
「でも、どう弾くのか? がまだ謎です。」
「虹人さんなら、きっと見つけるでしょうね」
「そのつもりです。それが私の仕事ですから」

・・・・そして、実演を交えて、延々と話は続く・・

ところで、人は目的を持ってくり返し行なうと進化するもの、らしい。
また、これが人間の持つ能力の第一のもの!だと唱える方がいます。
同じことを繰り返しているように見えて、実は進化している。ただし、目的が違うと、結果も違う。

仮に、失敗をなくす目的で練習を繰り返すと、・・・・失敗が少なくなる・・・・。
何を「語りかけているか?」を聞くのが目的なら、音の失敗は気にならなくなる。
「音質」の向上が目的なら、・・・・カッコよく弾くのが目的なら・・・・お金が目的なら・・・・

同じ「練習する」にしても、実際には演奏する人の「目的」が異なっているので
内容が大きく食い違う。
ただ、面白いのは、「お金の価値観」が同じだと、音楽の話が合うのだ?・・・・・

「夢のある○○」というフレーズは日本では、よく目にする、耳にする。
言葉の遊びだ。
目的地をしっかり見据えて練習しないと、目的地のない練習・・・・・
つまりは自己満足で終わってしまう。

「詩の朗読と音楽を合わせる」という目的が出来ると、
<どう弾くか>、<どう読むか>が具体的になる。
感情的になることで解決することは、何一つない。

そして、最後は・・・・「音」に帰る。  
音の密度に帰る。 
音が粗いと、表現は出来ない。
「音の密度」これが音楽に必要不可欠。美しい音ではない。

ところで、「美しい音を出す」という目的を持って練習したなら、どうなるか?
この物語の始めの方で、「美しい音」は否定されたことを覚えているだろうか・・。
「美しい音」に焦点を合わせてはいけない! 
それを目的にすることで、芸術から一番遠い場所に移動する。
それについて、少し触れておきたい。

結論から云う。美しい音など、誰にでも簡単に出せる。
「美味しい食べ物」と同じレベル。
飽食の時代に贅沢と云う意味での「美味しい食べ物」と同じ意味。
生きていくための食事。本当に身体に良い食べ物。・・・・
「食」を真剣に考えた時、食べる側だけで判断するのではない。

ピカソの話を思い出してほしい・・。
デッサンは物の形をじ〜〜っと見て、観察する、それを線を使って描く練習。
物の形が見えるようになると、次は、その本質を見る練習。
これが、デッサンの本当の姿。

「上手い絵」を描いて喜んでいる画家に、芸術家などいない!
芸術は「本質」を感じる分野。
本質が「美しい」のであって、外見が美しいのとは違う。

少しくどいが、「美しい大根」が世には溢れている。虫もつかない、腐らない大根。
自然に育ったニンジンを1週間ほったらかしてしまった。グチャグチャに腐っていた。
コープで買ったニンジンは2週間経っても「美しい」
「美しい」に焦点を合わせると、結果は人間の都合だけに終わる。

音楽で「美しい音」などあまりにもレベルが低い!
そんなレベルに合わせていては、「欲望」に擦り寄られるだけ。
演奏家なら、最低限「見える音」を出す。
音楽を語るなら、「音が見える」レベルに来る。
これが最低条件だ。

「美しい」のが悪いのではない。「美しい」を目的にしてはいけないのだ。
自然の景色に「美しくない」ものなどない!
人間が勝手に順番をつけているだけ。自分達の価値観で・・・・商売で・・・・欲望で・・・・

本当はこの世は「本質的に美しい」もので溢れているのだ。
人間が、言葉で「美しい!」と云って、「きちゃない」ものを作っている・・。
「音楽」という名を着せて。「美しい音」というブランド名を付けて「一流」という飾りを見せつけても、
本質を見る。本質を聞く。という練習さえしていれば騙されはしない。

練習は本質を見抜く訓練。
本質が感じられれば、次は表現する番。その時に、音楽は「音」が要る。
そして、音には高さによって、感じ方が違うことに気が付く。
つまり、各々の音によって弾き方も違ってくるのだ。

ギターの場合、弦によってタッチが異なる。というより音質が根本的に違っている。
爪を削る場合、薬指は@弦に合わす。中指ならA弦に、人差し指はB弦に、
指と弦が一致している訳ではない。全ての指で全ての弦を弾く訳だから、
どの指でも弾けないといけない。
だから!全てに適した削り方・・・・・などないのだ!
そんな便利な方法を考えるから、横道に入る。すぐに飽きてしまう。

基本というのは、それが身に付けば、応用が無限に広がるものなのだ。
だから基本!
基礎練習も全く同じ。「上手くなる」を目指してはいけない。それは付録として勝手に着いてくる。
人間も同じ。結果として「美しく」なるのだ。生き方が正しければ・・・・・・

セゴヴィアさんからのメッセージ「17」は、17フレットからの音質は、それまでの音と質が変わる。
それに適したタッチがある! それを探しなさい!という意味だ。
そして、見つけられるレベルになっているから、メッセージとして聞こえたのだ。
「聞こえない」のは、その人のレベル。
そして、それが「揺らぎサウンド」  虹人が出せるまで、あと1年半・・・・。

我々は3次元ではなく、4次元に住んでいる。
3次元では時間がない。つまり、変化が起こっていない。活動もない。だたの空間。
時間が動いている。つまり変化と活動がある。これは、4次元の世界。
そう捉えると、古事記にあるように、「今」は過去の集大成。この意味は深い。
さらに、音楽が、4次元を代表する芸術なのだ!

人の能力には、「書いて伝える」という力もある。
これは、良いことも、悪いことも・・・・・
つまり、伝える内容(目的)によっては人類にとって、少々大袈裟だが
宇宙環境に好ましくないことも多く含まれている。
音楽に使う音は「過去の集大成の音」でなくてはなりません。
昨日今日出来た粗い「音」で演奏してもらっては困るのです。それは過去を「無視」しています。

「命をかける」という言葉があります。
本当に「命」をかけて「音」作りをし、「音楽」と付き会うなら、
「美しい音」などというレベルの低い、否、欲望を満たすようなレベルは断固として拒否すべきです。
まずは密度の高い音。ここがスタート。
密度が増せば、波動が微細になる。すると・・・・見える。

今回のお話・・・・内容が解かる方は、私と同レベル。
解かる気がする方は、すぐに同じレベルになります。
解からない方は、まだ少し先か、その方にとっては重要でない話。気にする必要ありません。

もっと上のレベルなら・・・・知らん!


●閑話休題
「お頼み申す!」
「ん? はい・・。」
「それがし、いささかギターをたしなむ者でござる。」
「ござる?! たしなむ?!・・・・なんじゃあ?」

「一手のご指南を、お願い申す。」
「時代劇やなあ・・・・へいへい・・・・」

「では・・・・ん?  あれ??・・・・なんや」
相手は突然正座して、深呼吸すると・・・
「いっぷしんもてまいる!」
「なんのこっちゃ?」

 突然、胸のあたりに両手で小さな丸をつくる・・・・

「ん??  問答か?  得意分野や。  
 なに、お前の心はこの程度か?  やて・・・・ドアホ!」

  虹人は大きく両手を広げると、頭の上で大きな丸を作る。 (こんなにデカイのぢゃ!)

「ハハアアアア!」と平伏してから、

「では、いま一度、お願いいたす!」

  そう言って、両手をパーにして前に出す。

「ナヌ、1レッスン千円か?やて・・・ドアホ」

  虹人は片手を前に付き出す。5千円ぢゃ!  ふふふ、ビックリしたやろ!

「ハハアアアア!」と平伏する。

「恐れ入りまするううう。では最後に、いまいっぷしん!」

「ふふん、なんでも、持ってこい。」

  3度目は、3本の指を出す。

「なんぢゃと、3千円にマケテくれ!やと、」

  右目の下に人指し指を持っていく。(アッカンベ〜〜ッ)

「ハハアアアア、恐れ入りましたアアア!」

「バカモノ、100年早いわ、カンラ、カンラ・・・」
虹人は、笑いながらトイレに立つ。

「おほほほほほ・・・・・ま、お茶でもどうぞ。」
  妻の加代がもてなす・・・
「ハハア、恐れ入ります。」
「そんなことより、ギター弾いたらどないだす?」
「これは、奥方どの。虹人殿は問答にも長けておられる!感服いたしました。」
「あら?問答?  そんな器用なこと出来ません!」
「いやいや、なかなかの博学です。」
「オホホホホ、何かの勘違いですわ。 で、なんと?」
「最初・・虹人殿、ご胸中は?とお聞ききしましたら<大海のごとく>とお答えになりました。」
「まあ!!」
「さらに、<十方世界は>と申せば<五戒で保つ>と仰せられ、
<三尊の弥陀は>との問いには<目の下にあり>とのお答え。いや恐れ入りました。」
「あら??  そんな問答でしたの?」

トイレから戻った虹人は、・・
「こりゃ、お前の名前は?」
「これは、ご無礼を・・・・、それがし、鷲塚与太左衛門と申す。」
「ワシズカ・・ヨタザエモン・・?!なんちゅう名前や。」


・・・・ん?   はいはい、   
え? ああ・・・・夢か・・・・・

「どないしたん? エライうなされてたけど・・」
「そやろなあ・・けったいな夢みたわ・・・」

    ・・・・誰です?こんなけったいな夢見せたん?・・・・

    ・・・・冗談の神さん違いますか?  さっき、そのへんウロウロしてましたから・・・・

    ・・・・虹人、悩むかも・・・・

「さて、今日も爪を磨いて、フーガを弾くか!」
朝の基礎練習を今日からバッハのフーガにした虹人。元気にギターを持った。
夢のことなど、全く覚えていない虹人だった・・・・・


●出会い
今日は一ノ瀬夏美さんとの最後のコンサート。

半年前に初めて一緒に演奏した時、虹人は、3m前に夏美さんの背中を見ながら
彼女のピアノを聞いた。
プログラムに載せる曲目解説を、書くのではなく、演奏をする前に、二人で語る。(音も入る)
その時と、コンサートとして演奏する時の夏美さんのオーラが変わる!

演奏する直前、虹人は夏美さんの背中から、剣豪が感じたであろう
「殺気」みたいなものを感じた。
音楽だから、殺気はおかしいので「集中力」なのだろうが「千人を相手にしている!」そう感じた。
背中が、というより・・姿がクグッと大きくなった!
40人のお客さん相手に、1000人の観客を前にして弾く気合いを出す!

練習と本番の違い・・・・・などというレベルの低い話ではない。
演奏家たるもの、お客さんが何人いるとか、練習だから、・・・・そんな話をしているようでは・・・・

1回目に受けた衝撃は、あまりにも次元の低い話。
2回目は、リハーサルで突然バッハのシャコンヌを題材にした話に変えた。
もちろん打ち合わせにはない。虹人の出した「問いかけ」(まるで問答のように)に対して
瞬時にあの「殺気」を発したのだ。「気」が本番のものに変化した。
漫画ならカメハメ波で飛ばされたみたいに感じた。すごい集中力でピアノに向かう。
虹人には遠く及ばない「音楽力」。<ハズカシイ!> と感じた。 
剣の立ち会いなら、向かい合った瞬間に「参りました!」である。

3回目。演奏が終わって、夏美さんから「今日の虹人さんの音には矢印が付いてました。」
さらに、虹人がこの世界に入った頃から、ずっと見守ってくれているピアニスト、小田久美さんが、
「今日の音が虹人さんが追い求めていた<音>なんですね!40年以上ですね!」
そう言うと、後は涙で言葉にはならなかった。
自分のことをじ〜〜〜〜っと見ていた人がいた! 
まさか、自分の戯言を40年以上も真剣に聞いていてくれた人がいたとは・・!。

そして、今日。虹人は小品ばかりでプログラムを組んだ。自分のレベルに合わせた。
「これや!」本来の姿は、この小品を弾くことにあるんや。
はっきりと自覚した。 身体に付いたホコリが1つ取れた。(誇りも取れた)

夏美さんとのコラボが終わって、次なる計画を思案していると、

トルルルルル・・・・・・・
「もしもし、私、虹人さんのHPのファンで、西岡といいます。高知からです。」
どうやらウェブ・レッスンを全部見たらしい様子! 自分と同じような感覚で音楽を捉えている。
第一声で、気ごころが合う。
「これは、第2の藤本さんになるかも・・・」

虹人の「音」に大きな影響を受けて、時々音楽(ギター)の方向を確かめに来る、
ギター愛好家の藤本さん。
つい先日、3年目に右手の親指のタッチを会得した。
ご褒美のつもりで、虹人の愛器<ラミレスAM杉67年ブリッジレス>を
藤本さんの持つ楽器と交換。

虹人の言う練習方法は、普通の感覚で聞くと・・・「んな、アホな!」でオシマイ。
運動選手が行う練習に、競技と直接関係ない内容が多く含まれているのと似ている。
一昔前は、「根性」で解決しようとした。根性は最後。その前にやることがある。
ギターも同じ。「気持ち」の前にやるべきことは山とある。その1つがベースの音。

ベースの音が確立しなくては、始まらない。
始まらなければ、根性も気持ちも理論も・・・・・演奏自体が成り立たない。
とても簡単な話。あまりにシンプルなので、説明出来ない。
ちょうど、「海ってなあに?」 と聞かれるみたいに・・・・。歌でも歌ってごまかすしかない

  ♪〜う〜み〜は、ひろい〜な、おおきいな〜〜。♪

藤本さんが会得すると、次なる人物が登場する。順番として解かりやすい。
「では、一度会いましょう」
話は早い。電話をするまでは、イロイロと考えていたことが、すっかり飛んでいってしまった。  
しかし、電話で話しただけで、西岡さんはすっかりリラックス。
そして、初めて虹人の生ギターを、目の前で聞くことに、

「すっかり、長居をしました。また寄せてもらいます。今日はこれで失礼します」
「はいはい、同じ方向を向いている方に巡り会えて、嬉しいです」
「あの、最後に、私のギターでちょっと音を出してくれませんか?」
「いいですよ、では・・・」
西岡さんは、一瞬顔色が変わった。が、すぐに冷静になり・・
「ありがとうございました。では・・」
と言ったが、
「??なんちゅう音や。このギターから、あんな音が出るのか! これは真剣に取り組まねば・・」

最後に聞いた「音」をしっかりと、自分のイメージとして取りこんだ西岡さんは、
「この音は、世に広めなければ・・・・・・その前に・・・」
ある秘策を思い付いてから神戸を去った。

   ・・・・あと半年ですなあ・・・・

   ・・・・そう、12月12日です。・・・・

   ・・・・それまでに、高知でコンサートですね?・・・・

   ・・・・その予定やね、そこで、コンサートの次の日にショックなことが起こる・・・・

   ・・・・フフフフ、面白くなってきましたなあ・・・・


●メッセージとは
・・・・アイを使え・・・・

「え? i (右手人差し指) まさか! あり得
ん!」

春の午後、楽譜を書いていると、ウトウトとしてしまった虹人に、メッセージが来た。

この声の主は、あのお方。なぜセゴヴィアさんだと解かるのか、日本語なのに・・・・
経験のある方には普通の話ですが、経験のない方には、(頭で考えるので)なかなか理解しにくい。
耳に聞こえる音ではないのです。自分の心の奥から感じる「声」なのです。
だから、同じ声(音)です。
同じ声(音)なのに誰の声かが、瞬時に理解出来るんです。そういうものなのです。

「人差し指を使え!」
この言葉だけで、なんの曲のどこに使うのか?が解かるのが「心の声」の特徴。
名曲「アルハンブラの想い出」この曲はトレモロという特殊な奏法を使う。
ベース進行が親指。薬指、中指、人差し指の3本は高音部を休みなく動かす。
これは、世界中のギタリストが同じ指使いで弾く。
が、そのベース進行を、なんと「人さし指を使え」というメッセージ!

頭では「有り得ない」指使い。しかし、虹人は一瞬躊躇したものの、すぐに
「よし、やってみよう!」
さっそく実行してみる。
「・・・これか!  このタイミング!。このアクセント!。  そうか!」
ギターを弾いている人には解かると思いますが、右手の指使いを変えると、弾けなくなるんです。
「こんな指使い、考え付くか? さすがやなあ・・・・」

   ・・・・調和の神さん! えらいサービスやなあ・・・・

   ・・・・時空はん、私とちゃいますよ・・・・

   ・・・・え?!  ほな、誰です?・・・・

   ・・・・私です  音域です・・・・

   ・・・・音域の神さん!  いよいよ、あんさんの出番ですか!・・・・

   ・・・・はい、この指使いの次が「揺らぎ」に移行するんです・・・・

   ・・・・出来たとたんに、忘れまっしゃろなあ・・・・

   ・・・・まあ・・ね。  自分史みたいなもの書いたら、イロイロ見えるんですがね・・・・    

「50年か・・・・。この音に<人差し指>を使う! たったこれだけに、50年か・・・・」
問答みたいやなあ・・・・。

  あるお坊さんは、何か問われると、右手の人差指を出して、二ッコリする。と、
  「ああ! なるほど。 解かりました」そう言って、みんなが納得する?。
  これを見ていた弟子の小坊主が、ある時、真似をして、
  質問者に「人差し指を立てて」みた。    が・・・
  チンプンカンプン??・・・・・
  後にその話を師匠にすると「バカモノ!」と一喝するや、小坊主の人差指を切ってしまった!
  「何をなさるんです?!」すると、師匠は黙って、人差し指を立てていた。そこで、小坊主は
  「あ、なるほど!!」と悟ったという。 ま、横で聞いていても、チンプンカンプンのお話。

虹人が「問答」みたいやなあ・・・・と言ったのは、このことで、蒟蒻問答のことではない。

世界中のギタリストが親指で弾く。そのことを疑う者は一人もいない。
しかし、セゴヴィアは人差し指を使った。そして、それは虹人に受け継がれた。

「これなら、残せる。よし決めた!」
それから、虹人は続けて3本DVDを作った。
左手のヒント。右手のヒント。発想のヒント。
全て、どこからか来る「メッセージ」がヒントになって会得したもの。
自分で苦労して考え出したものではない。
つまり、それらは本来ギター弾きが共有すべき内容なのだ。
キャッチした虹人が伝える。
そして、高知からの使者、西岡さんは、すぐに地元でのコンサートを企画、実行した。

ことは、次々と進む。しかし・・・・・・
「広める」ということに関しては、全く進まない。
西岡氏はこれに関してもある計画を持っていたが、ここでは、次なるステップに進む。

高知でのコンサートは、ギター音楽に新しい風を少し吹かせたようだ。
ところで、虹人にとって大事件が、コンサート翌日、西岡氏と車で移動中に起こった。
車で移動しながら、二人の音楽談義は止まることがない。西岡氏が、
「虹人さん、セゴヴィアのライブ録音聞きますか?」
「おお! それはぜひ聞かせてください」
そして、車の中に流れたのは・・・・リュートの為の6つの小品・・・・
「音が揺らいでいる!」
「なんや、この音は? 今まで聞いたことない音や、揺らいでいる・・・」
それからの会話や、出来ごとは、ほとんど覚えていない。
ただただ、車で聞いたセゴヴィアの第1音のみ! 揺らいでいる音!??・・・・

そして、運命の日。12月12日がやってきた。


●揺らぎサウンド
朝から、あの場面が頭にチラついて離れない。
「なんでや? なんで墨壺ばかり出るんや?・・・」
「ん?! メッセージや! 言葉ではないメッセージや。どう解釈するのや?」
「アカン・・・解からん。  墨壺から糸がス〜〜〜ッと出て、パチン!と線を引く。
 その画像だけが何回も頭に浮かぶ・・・・・・」
すでに、虹人の頭の中は墨壺で埋め尽くされていた。

「まさか・・まさか、そんなはずはない! まさか・・・??・・」

その時に思い付いた奏法は、虹人といえども、否定したい方法だった、が・・・・
「これがメッセージなら、考えることはない。実行あるのみ!」
意を決して、ギターをとる。
弦をつまみあげて、墨壺で線を引くようにバチンッ!と離す。
ものすごく嫌〜〜〜な音! だが、しかし、 あれ?
「この感触は? なんや、初めてギター弾く子供が出す音みたいや?!」
しかも、音を度外視したら・・オモロイ・・・・

少し、慣れてきた・・・・力をコントロールすると、
「ナント! 素晴らしい音やないかないか道頓堀よ〜♪」

「これなら、誰にでも出せる! 」
「それに、・・・・揺らいでいる。・・・・」
「17フレットも、簡単に出る。」

2012年12月12日・・・・覚えやすい!

工夫を凝らして新しいタッチを試みる。一番楽しい時。
そして、年が改まって、2013年のお正月。
孫と「お絵かき」をしていると・・・・「これや!」

今度は楽譜の書き方に一大変化が起こった。
さらに、楽器の調整に関しても、新しい技が次々と思い付く。
この、楽譜と楽器調整に関しても、また別の機会に書いてみる。が、今回はここまで。

さて「揺らぎタッチ」は今後ギター界にどんな影響を与えるのか・・。
その経緯は、これから起こること。
これに関わるみなさんは、他人事にせず、ぜひ虹人物語に登場してください。

時は流れ・・・・・・

「先生! おはようございます。」
元気な声が玄関にする。
今日は、二重奏団「ソラ」の練習に付き合う日。

二人の生徒が二重奏団を結成した。
普通のおばさんと普通のおばさんがギターを弾く!
あまりにも普通の景色。

虹人の尊敬する飯田福実さんという「ヨガの先生」は言う。
  ・・今の世界は偉い人が作ってきました。
    偉い人が作りあげた世界は目の前にあります。
      これからは、普通の人が世界をつくりましょう!

普通のおじさんと普通のおばさんが、ギター界を普通の方向に導きます。
みなさんも一緒に、どうですか?

        虹人物語  ・・・・完・・・・


●あとがき
楽器調整、音玉楽譜、楽しい楽譜、についても書きたかったのですが、
3つの内容が同時進行したら、私の頭は完全にパニック状態になる。
で、それはチラッとだけ触れるにとどめました。

加代さんとの恋愛物語も書きたかったのですが、私たち一般人の恋愛物は絶対おもしろくない!

調整に関して、世の製作家、ギタリストは全く実験をしない。
感情だけで判断するから、感情だけで決める。およそ、オソマツなのが現状です。
楽譜にいたっては、難しく書いて、解からないようにしているのか?と疑いたくなるほどです。
この分野については、いつか、DVDに記録して、後世に残すつもりです。

  なにはともあれ、いつのまにか長々と書いてしまった虹人物語。

尚、これは、私が死んで、復活した時、私自身が読んで、この物語の真意を読み取って、
これを元に飛躍する為に書きました。

   生まれ変わった私へのメッセージです。


●虹人外伝
虹人物語が一旦終了しました。
が、この物語には最も大切な部分が抜けています。
むしろ、今から書く<外伝>を最初書く予定だったのです。
しかし、この外伝は読んでも面白くない!

では、そのつもりで興味のある方は注意して読んでください。

ここは神戸の灘区にある「マリーホール」(300人ぐらい収容出来る細長いホールです)
一番後ろの席で、ビデオカメラを前に3人の男がVUメータを見ながら話している。
「こんなことって・・・!」
「ありえん!」
「信じられん!」

3人は、虹人、剣史(エレキギタリスト)、増田(虹人の生徒)。
ステージでは20年ぶりに松原和也(学生時代にプロを目指した)がギターを弾いている。

彼らが見ているのは録音されている音量を示すVUメーター。
録音している場所は客席の一番後ろ。
この位置で録音しても、通常はVUメーターは動かない。音量が小さいからだ。
が、バンバン振れている! 時々振り切れている!
そして、機械のすぐ近くで3人がしゃべる声は・・わずかに振れているだけ・・。

「どういうこっちゃ?」
「ステージの音がしっかり届いている・・・・ちゅうことでしょうね・・。」
「さっき、先生がステージで弾いている時でも、こんなには振れてなかったですよ。」
「セゴヴィアの時と一緒や!」
「・・・・と、いう、ことは?」
「あの音や!」
「スゴ!」

ギターの「音」をひたすら求めてきた虹人はショックを隠せない。
・・・・「息子以来や!  あの音が帰ってきた!」
虹人の息子、浩二が小学校5年の時に初めてギターを弾いた時。すでに虹人を越えた「音」を出していた。
この時にしっかりと盗めばよかったのに・・・・虹人はしなかった。
なぜ?
あの時は息子をギタリストにしよう! そう考えていた。
しかし、中学になった浩二はテニスに夢中になってギターは弾かなくなった。

今、目の前で鳴っている音は、虹人が目指している「ギターの音!なのか?」
虹人の生徒5人も信じられない思いで聞いている。

さあどうする? 虹人。

録音の為に、わざわざホールを借りる。その1週間前・・・・。


ここは、今西さん宅(生徒)の一室。
和也は、20年前、得意にしていた「農夫の歌」を思い出しながらトツトツと弾いていた。

少し離れたところで虹人と二人の生徒がヒソヒソ話・・・
「あの音はなんじゃあ??」
「なんともエエ音やねえ!」
「聞き惚れる!」
「あれなら、少々音を間違おうが、弾き直ししようが、気にならんなあ・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「録音しよ!」
「ロクオン?」
「そや、ホールで録音や。録音して確かめる!」

思い立つと即実行。そして、前回の場面に戻る。

和也は、ギターを趣味として楽しむ、と決めていた。
しかし、虹人はギタリストとして復活することを強く望んだ。
そして、和也もギターという世界にもう一度入ってみる決心をした。
それは、演奏家としてではなく、またギター1本で生きて行く!などといったカッコイイものではなく、
・・・・本当のところは本人に聞かなければ解からないのだが、まあヤケクソ半分かも知れなかった。
ただ虹人は
「このチャンスを逃す手はない!」
「しかし・・・・・」
「教えてもらうのはシャク・・・・というか自分流ではない」
やはり、盗むのが一番身に着く。


ある日、
「やっぱり、アレを実行するしかないか・・・・・」
爪ヤスリを持ってしばらく右手を眺める。
思い切って爪を削る!今までの半分以下の長さ。
・・・・♪〜ギタリスト殺すにゃ刃物は要らん、爪の半分も切ればいい、ア〜〜コリャコリャ。・・・・という歌がある。(ウソ)

実際問題として、これは一大決心が要るのだ。
その自殺行為のようなことを実行し始めた。 その時、電話が鳴る。
「もしもし、剣史です。先生! 爪削ってください!」
「今、削っているとこや!」
「そうですか・・・・。」
「先を越されたか、残念!」
「僕の方が一足早かったですね。正解ですよ、爪は要らんみたいです」
「あれだけ爪が短いのに、あの音やもんなあ・・・・、やってみるしかないわ」

爪は切っても、また伸びる。この簡単なことさえ知っていれば実行は難しくない。
しかし、ギタリストには至難の技。
思い切って爪を短くした虹人は、ギターを取って、ゆっくりと開放弦を弾く。
「ん! 弾ける。なんの違和感もない?? なんでや??」
10分程前までギターは爪で弾く! と思い込んでいたのがウソのように弾きやすい。

「爪は使っている・・・・。が、爪で弾いているのではない・・・・」
そういえば、セゴヴィアさんは「爪を使う」と云っている。「爪で弾く」とは一言も云ってない。
浩二も爪はほとんどなかった!
なんで、こんな簡単なことが解からなかったんやろ?
違う! 簡単やから解からなかったんや!


●ナギ・サウンド
ナギ・サウンド(勝手に命名)は松原和也の音!
自分の「音」を持つ! というのは、それだけでプロフェッショナル!

どんな音が出るか?  はどんな動きをしているか?
と、ほぼ同じ意味です。
爪の形や、質がどうのこうのと云う方がいますが、
全部勘違いです。動きです。

爪を思いっきり短くする。
そこから出る音。
これが「ナギ・サウンド」
この奏法は彼しか出来ません。
1曲弾くのに、たぶん普通に弾く5倍ぐらいのエネルギーが必要です。
ある発表会で和也に30分程弾かせたことがあります。
15分程弾いたところで「ガス欠」を起こしました。
こりゃあ、このまま弾くと「死ぬ」な。と感じました。
「死ぬ」と感じたのです。
それほど内容の濃い演奏でした。
だから、一旦止めました?!?

自分で止めればええやないか?
と思うでしょう?
違うのです。
思考が入れない状態なのです。
カナシバリに遭った状態。

この瞬間。
この奏法は自分には「使えない!」
そう感じたのです。
そして、ナギ・サウンドは本人に任せて、私はこの奏法から脱出することに・・・。

又も、未知の世界に(大袈裟な表現ですが、そう感じたのです!)出発!
また、また、また振り出しに戻りました!!

そして「クイッ」の発見から加速して「揺らぎ」に至ります。

「揺らぎ」を発見した直後。和也に聞いてもらい、感想を聞きました。
和也「ものすごい音ですね。聞いたこと無い音や。」
虹人「自分で弾いてて、思わず<ウルサイ!>と叫んだわ」
実際、初めて出した時は「楽器が壊れるんちゃうか!?」と心配しました。
力のコントロールが出来なかった。
ただ、今までの経験から直感で「新しい道に入った!」と感じました。
新しい道に入ると、景色が一変するのは自分だけではなく楽器も同じなのです。
そして、私の作ったギター「ペガサス」もこのサウンドによってコンサートで使用可能となりました。

揺らぎサウンドは生徒さんにも簡単に受け入れられました。
そして、今はほとんどの生徒さんがマスターしています。
こんなことは今までになかった。
瞬時に伝えられる「揺らぎタッチ」

爪を短くして、引っ張り上げる。
これだけ。たったこれだけ。

これが虹人が50年以上かかって得た「音」の出し方。
これが全て!  13文字!


 



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